いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドのはじめてのカラー

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 1895年5月5日『ニューヨーク・ワールド』紙の「ホーガン横丁」です。

 

 作者リチャード・アウトコールトはそれまでも雑誌に「ホーガン横丁」を描いていて、それが『ワールド』紙に再録されたこともありましたが、上のマンガは「ホーガン横丁」がはじめてカラーでお目見えとなったときのものです。

 

 後にイエロー・キッドになると思しき子供が画面右下にいますが、このときはまだイエローじゃないですね。それに髪が点々と描かれていますし、耳が大きくない。この頃の子供たちのほうがかわいいと思うなあ。だからなのか、右側に立っているおばさんも笑ってますね。もっと後の「イエロー・キッド」になると、大人はたいてい、さわがしい子供たちに困り果てた顔をしています。

 

 右上の文章は、道化の口上になっています。「紳士淑女のみなさま、どうぞご注目ください、驚くべき美しさで、スヴェンゲリ君が紙の円盤をくぐり抜けます...どうぞ、そのままお座りください、次に登場いたしますのはマダム・サン・ジェーン、鞍なしの乗り手(馬ではなく犬ですが)の世界チャンピオンです」。

 

 スヴェンゲリ君(Herr Svengeli)という名前の由来は、当時の小説『トリルビー』に出てくる催眠術師スヴェンガリ(Svengali)でしょう。またマダム・サン・ジェーン(Madame Sans Jane)の名前も、やはり当時の舞台『マダム・サン=ジェーヌ』(Madame Sans-Gêne)からきているのだと思います。子供たちにも人気のあったキャラクターたちなんでしょうね。