いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとチャッピーとチェイシー

f:id:miurak38:20151128095716p:plain

 1904年12月22日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』紙に掲載された、「レアビット狂の夢」です。

 

 ふたりの男が、ひとりの女性をめぐって決闘をするという話です。最後のコマでベッドの女性が「チャッピーとチェイシーは決闘するつもりなのかしら...ああ!」と言っているので、たぶん実際の知り合いが夢に出てきたのでしょうね。

 

 それにしてもこのマンガは、いくら夢だからとはいえ、よく人が死にます。決闘でどちらかが死ぬのならまだしも、農場主が出てきてふたりを粉微塵にし、ほうきで掃いてしまうという凄まじさです。

 

 農場主は「猫のエサにでもするか」と言っていますね。こんなものを食わされる猫も大変ですが。

 

 ふたりの人物が粉々になって最後は動物のエサになる、というネタは、19世紀半ばのドイツの絵物語「マックスとモーリッツ」(Max und Moritz)を思い起こさせます(ヴィルヘルム・ブッシュによるこの作品は、アメリカ新聞マンガの直接の祖先とよく言われます)。主人公のふたりの少年マックスとモーリッツは、いたずらの限りを尽くした結果、農夫に懲らしめられるという形で、細かくすりつぶされてアヒルのエサにされるのですね。すごい結末です。

 

 だから、人が粉々にされるという残酷さは、子供も昔から楽しんでいたのだと思います。「レアビット」が大人向けと言えるのはそういう残酷さよりも、エピソードの多くが男女の恋愛にまつわるものだから、という気がします。