いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

リトル・ニモとエイプリル・フール

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 1906年4月1日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ...今日のブログタイトルでいきなりネタバレしましたが、今回のマンガはニモが嘘にだまされる話です。

 

 最初のコマで、道化たちがなにやら話をしています。いちばん左の道化は大きな腕や靴を、いちばん右の道化は頭を持っていて、これから組み立てて巨大な人形にします。でき上がったのが⑤の大きなコマですね。ニモと相対しています。

 

 道化たちはニモに対し、お姫さまが待ってるよと嘘をついたのですね。①のコマで道化のひとりが「プリンセスっていってる娘が外にいんぞ、ニモにすぐ会いてえんだと(Deys a loidy outside wat sez she is de princess and wants to see Nemo right away)」と告げます。

 

 Deys a loidy というのはたぶん There is a lady のことで、この正しくない綴りは、道化のちょっとおかしな発音に忠実というわけですが、これは...道化の訛りなんでしょうかね。当時、アメリカで馬鹿にされるのはだいたいアイルランド系でしたが、この発音はアイルランド訛りなのかなあ。ちなみに私は、アイルランド系アメリカ人がマンガのなかでさんざん馬鹿にされ笑い者にされているので、むしろアイルランドに興味があるというか、アイルランドが好きになりました。いつか行ってみたいですね。

 

 ⑥のコマは、なかなか考えられたコマだと思います。物語の展開としては、⑤のコマの後、道化たちがどのように人形を組み立てていたかがわかり、その悪事に護衛が怒り、道化たちを追いかけて捕まえる、最後にニモの夢オチのコマ、という流れです。

 

 ただ、紙面の残りのスペースがそんなにない。例えば、人形のパーツを持って逃げる道化を護衛が追いかける場面を描くなら、ふつうは横長のコマを用意したいところです。ただそれをやると、残りのスペースの大部分を使うことになり、人形がどのように組み立てられていたのか説明できないかもしれない。

 

 マッケイは横長のコマを使わずに、ニモを正面から捉えるショットによってこの問題を解決したんだと思います。このコマで読者は、ニモの護衛が怒って駆けつけ、道化が慌てて人形を解体して逃げようとしていると十分にわかります。

 

 しかもこのコマは、人形の組み立て方の説明もできています。このあと道化たちはおそらく、肩車をしたまま逃げるのではなく、ひとりひとり走って逃げたはずです。だから、人形がどのように組み立てられていたのかを自然なかたちで読者に説明するためには、道化がまだ肩車中の、悪事がバレた瞬間でなくてはなりません。ニモのすぐ後ろにいた護衛たちが、ものすごい顔でこちらに向かってくるこのコマは、道化の視点からすればまさにヤバい瞬間です。

 

 つまり⑥のコマは、人形の組み立て方の種明かしをするコマでもあるし、逃げる道化と追う護衛の関係をはっきりさせるコマでもあって、それを紙面の左下スペースだけでやってしまっているところが「マッケイ頑張ったな」と思わせます。おかげで、ショックで泣いてしまうニモを描いたコマを用意でき、ニモに注意を集めて、夢オチのコマへと流れることができます。