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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと巨大な宝石

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 1905年3月25日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 男が「うわ、またつまずいた」というシーンから始まります。よく見ると、つまずいている足の周辺で小石が跳ね上がっていますね。帽子も頭から外れています。

 

 私は絵を描かないので、つまずいた瞬間の絵を描くってけっこう難しそうだなと感じます。いまだったら、たとえばコメディの映画で俳優がつまずいているところで映像を止めて、それを模写するということができるでしょうが、20世紀初頭にそれは無理でしょう。つまずいている人物を描いた他の絵やマンガなどから描き方を学ぶのでしょうが、そのような絵を見つけられないときにはどうすればよいのか。

 

 マッケイの場合は、見たものをそのまま記憶でき、その記憶をいつでも引き出して見たとおりに描けるという才能があったようです。だから、道ばたで誰かがつまずいている場面に出くわしたときに、その動きを瞬時に覚えるということができたし、それをいつでも描くことができた。マッケイにかぎらず多くの画家や漫画家がそうだったんでしょう。うらやましい芸当です。

 

 さて、上の男は、自分がなににつまずいたのか気になって、地面を掘り始めます。すると、巨大なダイヤモンドがでてきます。原石ではなく、すでにカッティングされているのが不気味ですね。

 

 男はこれを「この道を通る人がつまずくといけないから」という理由で、通行人のじゃまにならない場所まで持ち運んでいきます。最初このマンガを見たときわたしは、男は見つけた宝石を売りさばくために持ち歩いているのだろうと勝手に思っていたのですが、男の言葉を読んでみたらちがっていて、自らの貧しい心を責めました(笑)

 

 男はその後、「うわ! べつのにつまずいた!」と言いながら、宝石とともに落ちていきます(こんな崖みたいな場所がそばにあったのか)。しかも今回は落ちるだけでは済まず、宝石につぶされて苦しんでいるところまで夢を見ます。無数の宝石が恐ろしいです。