いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと増殖するわたしたち

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 1905年4月15日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 ただ事でない感じがひと目ですぐ伝わってくるマンガですね。同じ人がいっぱいいます。

 

 さいしょは、老紳士がひとりいるだけです。「春はすばらしい、さわやかな朝の散歩は格別だ、鳥の歌声に詩人も気が狂ってしまうだろう」といいながら、杖を片手に歩いています(肘から下が少し前に出ているだけで「歩いている」感がありますね)。

 

 歩いていると、「わたしにそっくりの人がやってくるぞ」と、早くもこのマンガの主題に気づきます。で、2コマ目ですぐに、そのそっくりさんと対面します。「お会いできてうれしく思います、わたしたちはよく似ていますね」となかなか冷静な挨拶です。

 

 それに対し、相手は「わたしはおまえ、おまえはわたし、わたしはわたし自身だ、わたしはわたし自身を知るべきなのだ」という感じで、すでに狂人です。詩人かも。

 

 3〜4コマ目、左から順に「待て、わたしがわたしだ」「あなたがわたしだというのですか」「そうだ、わたしがわたしなのだ」「ちがう、わたしなのはわたしだよ」「わたしたちはわたしたち自身だ、わたしはわたしたちだ」「わたしはわたしたちだ」「ちょっと混乱してきた...」「わたしはわたし自身であることを恥じているのだ」「わかるか? わたしがわたしだ」「わたしはわたしだ」...。

 

 だいたいどのコマでも真ん中にいて、発言内容も他とは少しちがう人が、1コマ目でのんびり散歩していた老紳士だと思いますが、そういう印もなければもはやだれがだれかわかりませんね。

 

 でも、いまちょっと、冷やっとした直観が頭をよぎったのですが、この人たち全員、さいしょの老紳士が、一人何役も勝手にやりはじめてる場面だったらどうしよう。怖い。...あ、でもさいしょに「わたしにそっくりな人がやってくる」って言ってるから、やっぱり実際に人がたくさんいるということでいいのかな。ちょっと本気で怖かった...。

 

 6コマ目で状況が一変します。ベッドの上で老人が「ははは、おかしな夢だ、レアビットを食べるとおもしろい夢が見られるな」といってるので、夢から覚めたところですね。しかし、彼の両サイドを見ると、これが現実かどうか怪しい。まだ同じ人がたくさんいますから。そして案の定、次のコマではさっきの続きです。

 

 夢のなかで夢を見ているエピソードはこれがはじめてですね。だからもしかしたら最後のコマも、まだ夢なのかもしれません。