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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビット6号と「レアビット」の論文について

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 昨夜食べたレアビットです。明日がわたしの誕生日ということで、前祝いとして妻にいろいろ料理を作ってもらったのですが、上はそのうちの一品です。

 

 しかし、妻は他の料理の準備に忙しかったためか、レアビットの一般的な材料のひとつであるマスタードを今回入れ忘れてしまい、さらに夫婦ともにレアビットを作る前、これまたレアビットの一般的な材料であるビールを飲み干してしまったため、ビールも入っていません。今回は、

ウスターソース

・チェダーチーズ

・牛乳

・バター

でした。それとパセリをぱらぱらとかけてあります。

 

 でも、まあビールやマスタードも大事なんですが、レアビットを作るときにたぶんいちばん大事なのは、ウスターソースじゃないかな。いつもの味と大差ない感じでしたから。酔っぱらっていたからよくわからなかっただけかもしれないけど。

 

 ウスターソースの特徴や歴史については、オタフクソースのサイト(知る・楽しむ-ウスターソース | オタフクソース株式会社)に詳しく載ってますのでそちらをご参照いただければと思いますが、ウスターって Worcester って書くのね。読めないなこれは。ウォーセスターとか読んじゃいそうです。そういやサッカーの岡崎選手が所属するレスターも Leicester って書きますね。-cester ってなに?

 

 おそらくウスターソースのメーカーによって、味にちがいが出てくることが予想されるので、メーカー別に作ってみるのもおもしろいかもしれません。気になるメーカーはやはり、ウスターソースを世界に広めたリー・ペリン社のソース(Lea & Perrins | Home)。明治屋あたりで売ってるのではないだろうか。いずれやってみます。

 

 さて今日は、マンガの論文の紹介でもしようかなと思います。もちろん「レアビット狂の夢」についての論文です。

 

 昨年、マンガ研究論集『コミック・ストリップからグラフィック・ノベルへ:グラフィック・ナラティヴの理論と歴史のために』(From Comic Strips to Graphic Novels: Contributions to the Theory and History of Graphic Narrative, eds. by Daniel Stein and Jan-Noël Thon, De Gruyter, 2015)というものが刊行されました。

 

 そのなかに、カリン・クッコネン「グラフィック・ナラティヴにおける空間、時間、因果性:身体化認知的アプローチ」(Karin Kukkonen, ‘Space, Time, and Causality in Graphic Narratives: An Embodied Approach,’ pp.49-66)という論文があり、これが、下のマンガを認知科学的に考察しています。

 

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 1905年8月16日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 スヴェンガリという催眠術師が、男を操っているマンガです。クッコネン論文はこのマンガを使って、「わたしたちはなにを手がかりとして、物語世界の空間や時間を把握するのか」という問いを検討します。結論をいえば、それは登場人物たちの身体の動きである、とクッコネンは述べます。

 

 マンガの前半部で、スヴェンガリと男が立ち話をしていて、3コマ目でスヴェンガリがにゅっと手を出しながら男に急接近すると、男は両手を上げながらうしろにのけぞります。わたしたちはこうした動きから、近寄られた男が不快な感情を抱いたことまで即座に理解できます。なぜならこれはパーソナルスペースへの侵入を示しているからであり、それは、わたしたちにもよく覚えのある空間把握です。

 

 このマンガには(寝室を除き)背景がぜんぜん描かれていませんが、それでもわたしたちが物語世界の空間を理解できるのは、わたしたちの身体に基づく空間把握のやり方が描かれているからだと、クッコネンは主張します。

 

 またクッコネンは、5コマ目以降、スヴェンガリの腕の動きと男の身体の動きが対応していることから、わたしたちはここに催眠術の存在を推論できるとも述べます。もちろん、4コマ目で男の顔の表情が変化することや、スヴェンガリという架空の催眠術師の名前が当時広く知れ渡っていたことなど、描かれている身体の姿勢とは別の要素も重要ですが、身体の姿勢も、描かれていることの因果関係を理解するうえで手がかりとなります。

 

 コマの構成という点についていえば、クッコネンはまず、左側に並ぶ5コマに目をつけ、これらのコマが上から下に向かうにつれて、男の身体の向きが垂直から斜めになっていくと指摘します。垂直は、身体が重力とのあいだに作り出す均衡を意味し、対して斜めは不均衡であるので、この左側のコマは、男が徐々にバランスを失っていくことを端的に表している列だとクッコネンは言います。

 

 さらにクッコネンは、5〜8コマ目での男の姿勢に注目し、これらがコマ構成のおかげで、全体として円を描いていること、重力から解放された終わりなき円運動のかたちを表していることも指摘します。

 

 つまり、重力というのは、わたしたちが世界を知覚するときの前提条件であり(重力によって空間の上と下が決定されるわけなので)、そうした人間の身体のあり方は、物語世界のなかの空間を理解するだけでなく、紙面上のコマ構成に見られる表現の解釈にも影響を及ぼすはずだ、とクッコネンは言いたいのだと思います。

 

 論文冒頭にある、論文の要旨を以下に訳します。

 

本稿は、グラフィック・ナラティヴの物語世界における時間、空間、因果性を、客観的で外的なパラメーターとして取り扱うことはしない。それらは読みとともにある(emergent)特性であり、描かれた体に対する無媒介で身体的な共鳴と、登場人物どうしの感情的および社会的な相互作用の質感と、それらの紙面上の構成の全体とに関わるものである。(p.49)

 

 この論文は他にも、たとえば「身体図式(image schema)」とか「ミラーニューロン」とか「変化の見落とし(change blindness)」とか、認知科学的知見がちりばめられていて、素人のわたしにはしんどい文章もありました。

 

 一方、そうした認知科学的な知見がサポートする主張は、けっこう当たり前のことというか(笑)、たとえば上記の、スヴェンガリが急接近して男がのけぞる姿がパーソナルスペースの問題だとか、催眠術の存在をふたりの身体の姿勢から推論できるとか、それは見てすぐわかることなのにいちいち認知科学の知見いるの? と思わないでもないです。

 

 まあでも、マンガ表現を認知科学的にアプローチすること自体はぜんぜん問題ないといいますか、もっと活発にやってくれてもいいなと思いました。

 

 それと、「マンガと重力」というトピックは、個人的にはこの論文でいちばんおもしろいと思ったところです。「リトル・ニモ」などを見てるとときどき、マンガはコマを組み立ててできる建造物だなと思うことがあり、建造物として考えるなら重力の問題は大事だろうと思うわけです。

 

 ...ここまで長々とした文章をお読みいただきありがとうございます。ウスターソース買ってくるか...。