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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドと仮装舞踏会

イエロー・キッド

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 1896年12月27日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 前に紹介した「イエロー・キッドとタバコ」(イエロー・キッドとタバコ - いたずらフィガロ)とともに、1896年最後の「イエロー・キッド」です。ただ、上に描かれている内容はすでに1897年のようです。キャプションが「新年の仮装舞踏会」となっていて、ステージ上ではリッカドンナ・シスターズが1・8・9・7の数字を手にしながら踊っており、また画面を横切るランタンにもおなじ数字が描かれています。

 

 イエロー・キッドは黄色い服を着ていますが、いつもの寝巻きよりも上等そうですね。服には「ねえリズ、ボクはきみに夢中だよ、いっしょに踊らない?」とあります。こういうセリフをさらっと言えるのはイエロー・キッドの才能なのか、それともアメリカの標準なのかはわかりませんが、いずれにせよわたしにはだいぶ難易度の高い技です。そういえばイエロー・キッドは読者のほうに視線を向けておらず、リズに集中しています。本気だ。

 

 リズのすぐとなりに、泣き顔をこちらに向けている小さなこどもがいます。服に「こんなの仮装舞踏会じゃないやい」と書いていますが、これは...この子が自分の服に満足していないことを言ってるのかな。いつもマクファデン通りで着ているような服ですので。うしろにいるヤギは「角がなかったら、だれもオレだとわからないだろう」と言っていて、自らの仮装に自信をもっています(それでもヤギにしか見えないけれど)。

 

 この子の足下には、ライ麦と書かれた瓶が立っています。マクファデン通りのこどもたちはウィスキーを飲んでるんでしょうか。喫煙してるくらいですから飲酒はふつうにやってるとは思います。瓶には栓がしてありますが、その栓には顔が描かれていて、「どうすればオレたち休みが取れるんだ」と書かれたふきだしが出ています。オレたち、というのは、そばのグラスのことも指してるんでしょう。あるいは、さらにそのとなりの、煙を上げているタバコも入ってるかもしれない。

 

 「イエロー・キッド」の世界では、動物が人間の言葉をしゃべるだけでなく、無生物まであっさりしゃべります。以前にも小石がしゃべっているケースがありました(イエロー・キッドとホースショー - いたずらフィガロ)。また上のマンガでは、ウィスキーボトルの栓に顔がついて、マンガのキャラになってしまっています。

 

 他にも、しゃべりこそしないものの、いくつかのランタンに顔がありますね。これらのランタンの顔は、ランタンにもともとこういう顔の模様があって(「1・8・9・7」の数字のような)それを描いたというより、ランタンに宿る生命の記号という印象があります。「1・8・9・7」の数字を表現する何本もの細い線は、ランタンの陰影線とおなじ程度の写実性を示していますが、ランタンの顔の線はもっとシンプルで濃く、はっきりとしていて、デフォルメの意志を感じます。描画のコードがちがっているのが重要なのでしょう。

 

 それにしても、あいかわらず文字が多いですね。気になるのはいちばん左の「新年の誓い」と書かれた板です。最初の文に「スリッピー・デンプシーは家から飛び降りるのをやめるということです...この誓いを破ったら、彼は首を折ることになるでしょう」とあります。これはおそらく、よくマクファデン通りのアパートの上からさかさまになって落下している少年のことですよね。スリッピー・デンプシーという名前なのか、はじめて知りました。

 

 比較的シンプルな描線で顔が描かれていること、そして、人物に固有名詞がつくこと。マンガ研究に親しんでいる方であれば、「このふたつは、伊藤剛さんが『テヅカ・イズ・デッド』で言っていた「キャラ」の条件ではないか」と思い浮かべるのではないかと思います。というよりわたしがそうです。

 

(補足:たとえばわたしたちは、だれかと電話で話をしているとき、手元に紙とペンがあればそれでいたずら書きをすることがあります。そのいたずら書きのなかで、ときに、なにか顔と体を持った、さらには言葉をしゃべる、生きている存在を作ってしまうことがあるでしょう。上記の「キャラ」とはそのような、それ自体が存在感・生命感をもっている絵のことです。)

 

 イエロー・キッドをはじめとして、このマンガにはこれまで固有名をもった人物が何人も登場していました。描画のスタイルも、「イエロー・キッド」初期の頃にくらべると、上のマンガはだいぶ線が簡単というか、陰影表現がだいぶ抑えられ、ランタンの顔のようなシンプルさが許容されています。

 

 というわけで、「イエロー・キッド」には「キャラ」が、あるいはランタンの顔のような「キャラの萌芽」が、そこかしこに登場している印象がわたしにはあります。なぜ「イエロー・キッド」でこんなことになったのでしょうね。なにかうまい説明を思いつけるといいのですが。