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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドとアトリエ

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 1897年1月3日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 「マクファデン通りのアトリエパーティー」と題されています。こどもたちが思い思いに芸術活動を行っているようです。

 

 イエロー・キッドはこの日は前景におらず、画面中央に立っています。ものすごく大きなパレットを持ってますね。寝巻きには「こいつはリッカドンナ・シスターズに夢中なんだ」と書いてあり、右手の親指で、力が抜けて座り込んでいる人形を指しています。リッカドンナ・シスターズはあいかわらず美しく描かれていて、背景の大きな絵画に描かれているキスシーンの男女となじんでいます。

 

 この絵の男女は、ロミオとジュリエットでしょうか。「離れろロミオ」と貼紙があります。さらには「この有名な絵は4.89ドルまで値下がりしています」とも書いてあって、これ有名なの? と思ってインターネットで探してみたら、すぐみつかりました。フランク・ディクシー作「ロミオとジュリエット」(1884年)です(Frank Bernard Dicksee — Wikipédia)。

 

 フランク・ディクシーはイギリスの画家で、早くから成功を収め、のちに歴史あるロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの校長になったり、爵位を授かったりする、とっても高名な人物でした。しかしそんなえらい人の絵でも、マクファデン通りでは4.89ドルにまでなるんですね。マクファデン通りではどんな絵が売れるのだろう。

 

 ディクシーの絵の上にはイエロー・キッドの石膏像があり、そのとなりで黒猫が女性の彫像を下に落とそうとしています。「これでミロのヴィーナスを作ろう」と言ってますので、おそらく、この彫像の両腕を折ろうとしているのではないでしょうか。

 

 イエロー・キッドのそばにはキャンバスが立ててあり、タバコを吹かす少年の肖像画が描かれています。絵がうまい人があえて雑に描いたような絵ですね。絵を描き慣れていない人には、この肖像画のような、そでのしわの特徴をそのまま腕の輪郭線にしてしまうといった芸当はできないのではないか。とはいえ、となりに立つモデルの少年と描き方がちがうのは一目瞭然です。絵の周囲には「この絵をアカデミーの展覧会に出す」と書いてあります。少なくともその文章は消したほうがいいだろう。

 

 前景に戻りましょう。いつもならイエロー・キッドがいそうな場所には、赤い服の女の子がいて、テレンス・マクスワットがその子の顔に落書きをしています。赤い服には「あんまりかわいく描かないでよ、テレンス、わたしがラファエロの天使とまちがわれて、画商がわたしを額に入れてオークションで売っちゃうといけないわ」と書いてありますね。

 

 テレンスの絵の腕前からすれば杞憂でしょうが、彼女がこのように危惧するのは、彼女が絵であり、ラファエロの天使もまたおなじ絵であることを自覚しているからでしょう。読者も、彼女が絵だともちろんわかっているからこそ、ラファエロの天使にまちがわれるという彼女の言葉に笑うことができます。現実世界で、だれかが目の前のかわいいこどもに向かって「ラファエロの天使のようだ」と比喩を用いるのとはわけがちがって、赤い服の少女の場合は、ラファエロの天使みたいになると額に入れられて身売りされるという困った状況が発生しかねない。ですが同時に「おまえその顔でラファエロとかよくも言ったもんだ」というユーモアもあります。

 

 このマンガには、キャンバスのなかの絵になってしまった子が何人かいます。まずは前述の、イエロー・キッドが描いた少年ですね。それから画面左下の、キャンバスのなかの泣いているこどもです。「ああ、わたしのドレスが!」とキャプションがついていて、ヤギに画布を食べられています。また、画面右側には、立てかけられてある額縁をくぐる少年がいます。厳密にはキャンバスになったわけではないものの、額のなかにいる彼の姿は、彼もやはり絵であることを読者に思い出させるものです。そもそも絵であるこどもたちが、絵のなかの絵になって遊んでいるようです。

 

 ...おっと、今回も、変なのがいます。ヤギの前足のそばに、なんか丸いものがあって、「ボクはラテン・クォーターだよ(I am a Latin Quarter)」と謎の言葉をつぶやいています。ラテン・クォーターとはフランス語のカルチエ・ラタン、芸術の都・パリの学生街の名前ですが、つぶやきの主はコインのようですので、これは芸術を愛する25セント硬貨ということなんでしょうか。よくわかりません。