いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドとパリ

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 1897年2月21日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 気球が描かれてますね。画面の真ん中でイエロー・キッドがひとり乗ってるのと(しがみついてる猫はべつとして)、画面左上にたくさんのこどもたちが乗ってる大きな気球とがあります。大きな気球にはフランス国旗がついていて、世界一周中のかれらは今回、フランスに来ているようです。遠景に見えているのはエッフェル塔でしょうね。てっぺんの旗に「自殺、慰め」と書いてるんですが、ここはもう自殺の名所だったんでしょうか。

 

 キャプションは「パリでのぜいたくな暮らし:イエロー・キッドが風に当たる」です。庭先で、あるいは散歩なんかで心地よい風に当たるというのがわたしたちのふつうのやり方でしょうが、イエロー・キッドの場合は気球ブランコに乗って風に当たってます。「ぜいたくな暮らし high life」とは文字通り高い場所を楽しむということだったか。

 

 寝巻きには「ボクたち高いところを飛んでるんじゃない? パリの人たちはボクのことプチ・ジョネ(le petit jaunet)って言ってるよ、ブロンドの服を着てるからね」とあります。le petit jaune なら「黄色いこども」ということですが、jaunet となると「小さくて黄色いもの・金貨」という意味になります。だから「ブロンドの服を着てる」と言ってるわけですね。たしかにイエロー・キッドは金のなる木かもしれない。

 

 イエロー・キッドの足には札が結んであって、そこには「トリルビーはそんなに多くないね(Trilby aint so many)」と書かれています。また出ましたね、トリルビー。パリ生まれのイギリス人作家、ジョージ・デュ・モーリア(George du Maurier)の小説です(Trilby (novel) - Wikipedia, the free encyclopedia)。ヒロインのトリルビーに催眠術をかけて彼女をスター歌手にする人物スヴェンガリは、「レアビット狂の夢」にも登場しています(レアビット6号と「レアビット」の論文について - いたずらフィガロ)。

 

 「トリルビーはそんなに多くないね」という言葉は、小説のヒロインのような女の子がパリの街角にあんまりいない、という意味なのか、それともトリルビーという種類の帽子(Trilby - Wikipedia, the free encyclopedia)のことを言ってるのか、よくわかりません。

 

 ただ、このマンガのなかにはほかにも「トリルビー」の文字があり、どちらかといえば「少なくない」という印象です。まず、こどもたちが乗る大きな気球の横に、トリルビーの黄色い本が落ちています。

 

 それから画面のいちばん下に「いとしいアリスのことを覚えていないのかい、ベン・ボルト/かわいそうなトリルビー」と書かれた旗があります。「いとしいアリス〜」の部分は19世紀に流行した歌なのですが、トリルビーがこの歌を上手に歌えず(スヴェンガリが心臓発作で催眠術に失敗するというのが理由です)、観客から罵声を浴びせられる、という場面が作中にあるので「かわいそう」というわけです。

 

 それとおそらく、イエロー・キッドの足の札の真下にいる髭の男はスヴェンガリです。なにを見てるんでしょうね。

 

 「トリルビー」のほかにもフランスのネタが仕込んであります。やはり黒猫のことは指摘しておくべきでしょう。「たしかにオレはシャ・ノワールだけどさ、喫茶店になるつもりはないね」だそうです。

 

 もうひとつの気球の縄には黒人少年がつかまっていますが、彼は「イヴェット・ギルベールはどこだあ」と言ってますね。当時の有名な歌手です(Yvette Guilbert - Wikipedia, the free encyclopedia)。

 

 気球という乗り物はもちろん空を飛ぶわけで、これがあると大空のただ中に文字を配置できるというメリットがあるというか、「イエロー・キッド」はとにかく画面中を文字で満たしがちなマンガですので、その点で気球は都合のいい装置だなと思います。

 

 また、気球自体がフランスをイメージさせるということもある。はじめて熱気球で有人飛行に成功したのがフランスのモンゴルフィエ兄弟ですし、なにより写真家のナダールをわたしは思い浮かべます(Nadar (photographer) - Wikipedia, the free encyclopedia)。気球の上からパリを撮影しているナダールを描いた、ドーミエリトグラフを見たことのある人もいるのではないでしょうか。

 

 上のマンガにも、ナダールがカメラをのぞくように、望遠鏡をのぞいているこどもがいます。「あれはなんだ」って言ってますね。残念ながらパリ市街は見えていないようですが。