いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドとカナル・グランデ

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 1897年4月18日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 キャプションは「カナル・グランデに浮かぶイエロー・キッド」。カナル・グランデとはイタリア・ヴェネツィアの街中を走る大運河で(Grand Canal (Venice) - Wikipedia, the free encyclopedia)、イエロー・キッドたちはその大運河をゴンドラに乗って進んでいるところです。

 

 イエロー・キッドの寝巻きの言葉は、「ヴェネツィアの不動産を買うつもりはないなあ、路面電車の営業権を取得して、この舟をケーブルで運行させることができるんならべつだけど」。なんかめちゃくちゃなこと言ってますね。水中にケーブルを走らせようとしてるんでしょうか。

 

 ゴンドラの上のこどもたちは、わりとおとなしいです。すわってるしかないからでしょうね。明らかに過積載だとは思いますが、それでも舟は順調に航行してるようです。イエロー・キッドの腕にそっと手をのせるリズは、愛するイエロー・キッドといっしょに、ヴェネツィアのロマンチックな雰囲気を楽しんでいる様子です。

 

 舟のうえには四面プラカードをもつ少年もいます。「この街にはこどもが遊ぶ空き地がない。お巡りがおれたちを追いかけて走るような横丁がない。死の急カーブがない。ウェアリングのもとで仕事をすることもないんだろう。まったくここは静かすぎるよ。街にいる馬といったら、サン・マルコ寺院のブロンズ像くらいさ」、だそうです。水の都はこどもにとっては窮屈なんですね。

 

 ウェアリング(Col. Waring)という人の名前が書いてあるのですが、おそらくこの人は、19世紀後半アメリカで排水施設の建設に携わったエンジニア、ジョージ・ウェアリングではないかと思います(George E. Waring, Jr. - Wikipedia, the free encyclopedia)。雨水が流れる水路と、家庭排水の水路とを分けた人みたいですね。たしかに、ヴェネツィアではそのあたりどうなってるんでしょう。

 

 プラカードにはつづきがあります。「ここに来てから灰樽(ash barrel:街角に置いてある、灰を入れるための樽)も広告看板(billboard)も見てないね、ボードビル(boardbill)はあったけど。イタリア人がゴンドラのうえにトロリーを設置して、電灯もつけるっていうんなら、すこしはここも楽しくなるかも。よかったよ、おれたちここにずっといなくてもいいからさ」。...ヴェネツィアをすごいディスってますけど、かれら無事に帰れるんだろうか。

 

 奥のほうに見えるストライプの柱は、ゴンドラを係留しておくためのものでしょう。こどもたちにとっては数少ない遊び道具のひとつとなっています。それと、イエロー・キッドたちが乗っているものとはべつに、もうひとつゴンドラがあって、手回しオルガン奏者がこっちを向いて立っています。猿もいっしょですね。

 

 19世紀末ニューヨークには各国から移民がなだれ込んできましたが、そのなかにはイタリア系移民もいて、かれらの多くがストリートオルガン奏者だったようです(Street organ - Wikipedia, the free encyclopedia)。猿を連れているのが典型的だったそうで、だから読者はこれを見れば「ああイタリアらしい」と思ったわけです。おそらくは、となりのバナナ売りや、頭のうえに大きな荷物をのせている女性の姿も、当時はイタリア的とみなされていたのではないでしょうか。