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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドとカイロ

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 1897年5月9日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 「カイロのイエロー・キッド」と題された一枚です。前回、イエロー・キッドはスフィンクスの前にひとりたたずんでいましたが、まだエジプトにいたんですね。

 

 イエロー・キッドは画面左下、謎の写実的な顔のひとといっしょにいます。このひとは顔だけ丁寧に描かれていて、一方で帽子や服は簡単に処理されているので、なんかイエロー・キッドのわきの下からにゅっと顔だけ浮かび上がっているみたいで不気味です。こっち見てるし。

 

 イエロー・キッドの寝巻きにはいつものように文字があります。「クレオパトラがいまここにいたらなあ、マーク・アンソニーもマーク・ハンナも、どのマークだってボクとのショーには出たがらないよ」。

 

 マーク・アンソニーとはマルクス・アントニウスクレオパトラと親密な仲だった政治家です(Mark Antony - Wikipedia, the free encyclopedia)。またマーク・ハンナはイエロー・キッドと同時代の実業家・上院議員で、ウィリアム・マッキンリーが大統領選挙のときに資金面で援助し、マッキンリー当選に貢献した人物です(Mark Hanna - Wikipedia, the free encyclopedia)。いずれも大物ですね。イエロー・キッドからしたら大したことないのでしょうが。

 

 今回の「イエロー・キッド」は、前回のスフィンクスのものとくらべて、いつもの騒々しさが戻ってきています。画面の下半分はとにかくごちゃごちゃしています。右から左にむかって、こどもたちとラクダが走り抜けるところで、真ん中に大きなラクダがいるのですが、まわりがごちゃごちゃしているのでそのからだの大きさほどには目立ってない気がします。じつはタバコをくわえているんですけど、ちょっとわかりにくい。

 

 背中の大きなこぶも、たくさんのこどもたちが群がって、こぶが覆い隠されてしまっています。しがみつく黒猫のとなりには「こいつはラクダだよ、馬じゃないよ、この街じゃなんだって真っ当さ、ナイル川だってそうだよ」と書かれたメッセージがあります。これは当時、ニューヨークの劇場などで、馬をラクダに見せかけるために偽物のこぶを取り付けていたことを言っているのではないか、とビル・ブラックビアードの解説書にはあります*1

 

 こぶの上には大きな帽子のキティ・デュガンが乗っています。うしろの少年が手をキティの胸にまわして「うひょー!」みたいな興奮の表情ですが、キティはとくに動じてなくて、それが少年の興奮をさらに高めているような感じです。エロですね。

 

 キティの帽子には「哀れな田舎娘(poor little country maid)」と書かれています。これも当時の、「カイロの街、あるいは哀れな田舎娘(The Streets of Cairo, or the Poor Little Country Maid)」という流行歌からとられたものですね(The Streets of Cairo, or the Poor Little Country Maid - Wikipedia, the free encyclopedia)。美人で純朴な女の子が、毎夜カイロの横丁で仕事のために薄着になり、野郎どもが騒ぐという歌です。かわいそうに。

 

 イエロー・キッドやキティ・デュガン、ラクダたちの向こう側には、二階建ての建物があって、鍵穴のかたちをした入口の奥にはセクシーダンサーがいます。エロですね。中に入ってみたくなります。二階のベランダではリズやヤギが高みの見物です。

 

 ヤギは「ミイラにならずにすんでよかった」とつぶやいてます。とつぜんどういう意味? と、なにか手がかりはないか探してみると、キティ・デュガンのすぐうしろの貼紙に「博物館用のステキなミイラを多数取り揃えております・保存状態良好」などと書かれています。これだ。この建物では、だれかがミイラを作って商売にしてるんですね。怖いな。

 

 ヤギのつぶやきから視線を真下にもってくると、「ストロベリー」「バニラ」とあって(この壁はアイスでできているのか)、さらに下に文章があります。「この十字は、もしスリッピー・デンプシーがわたしたちといっしょに来ていたらいたであろう場所をあらわしています」だそうです。

 

 スリッピー・デンプシーのことは、キティがもつ四面プラカードにも書いてあります。「ヴェネツィアじゃカナル・グランデにとび込んで、水から引き上げるのに10ドルかかったわ」。画面に不在のキャラクターについてここまでいろいろ書かれているのを見ると、やはり「イエロー・キッド」というのは、一枚一枚の絵を完結したものとして見るのではなく、それぞれが連続していて、その連続する時間のなかに生きているキャラクターたちの生きざまを楽しむマンガだなあと思います。

*1:R. F. Outcault's The Yellow Kid: A Centennial Celebration of the Kid Who Started the Comics, Kitchen Sink Press, 1995, p.88.