いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドと世紀の大記録(危険)

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 1897年5月23日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 「イエロー・キッドが世紀の大記録をつくる」というタイトルのコミック・ストリップです。4コママンガですね。4コママンガといっても、社会面のすみにのってる小さなものではなくて、新聞紙面の半分を使ってますが。

 

 ひとつひとつのコマが縦に細長く、このコマのかたちを利用して、まずイエロー・キッドたちが縦に重なっています。画面の奥から手前にならぶ線路の枕木のうえに、自転車に乗るイエロー・キッドがいて、そのうえにヤギが、さらに犬が、それから黒猫が乗っています。ブレーメンの音楽隊のようです。

 

 イエロー・キッドの寝巻きには「うまくやってるでしょ、これから前に進みまーす」と書いてあります。胸元にオレンジ色のベルトが巻いてあり、そのベルトから、イエロー・キッドのうしろのほうに棒がのびていて、棒の先端は四角い板が取り付けられています。この棒につかまるオウムは「列車が来たぞ、用意はいいか」としゃべっています。

 

 2コマ目、細長いコマの左端にわずかに機関車が見えます。ここに描かれてはいませんがおそらく、棒の先端の板を、走る機関車が押して、イエロー・キッドと自転車が押されているのですね。この棒はよく持ちこたえていますね。機関車がぶつかった瞬間に折れそうなものですが。イエロー・キッドは「どうだい! こいつはこうやって乗るのさ」と、腕を組んで笑ってます。余裕です。ヤギと犬は危険を察知してか、すでにイエロー・キッドから離れていますが。

 

 1コマ目と2コマ目では、イエロー・キッドたちは列車に押されて画面の左から右へと走ります。もちろんこれはわたしたちがコマを追っていく視線の動きに対応していますが、奥から手前にのびる線路と空を走る電線とがななめに描かれて、線遠近法を思い起こさせますので、単に左から右へ水平にというのではなく、空間の奥行き感が加味されています。

 

 3コマ目では、線路が画面左下から右上のほうにむかって描かれていて、2コマ目とシンメトリックなかたちです。列車は行ってしまい、イエロー・キッドは走り去る列車の後方に投げ出されています。自転車と黒猫も飛ばされていますね。イエロー・キッドは「くそー、ベルトがちぎれちゃったよ」と言ってます。

 

 4コマ目、イエロー・キッドたちはバラバラの自転車を回収し、画面左にむかって歩いています。「あまりあったかくないような...。あのベルトが持ちこたえていれば、いまごろはバッファローだったな」と、服がボロボロになっていますがどうやら無事のようですね、タフガイだなあ。立て看板には「トロイ 30マイル・スケネクタディ 10マイル」と書かれています。バッファローを含め、いずれもニューヨーク州の都市の名前です(あれ、世界一周はどうなったんだ)。

 

 立て看板が右下がりに描かれていて、となりのコマの線路とともに、遠近法の消失点が右側にあることを示しています。だからイエロー・キッドは、このマンガにおいてつねに消失点に背を向けていることになります。いつも画面の前景にいて、いつも目立ちたいし、いつまでもマンガのなかにいたいんでしょう。

 

 イエロー・キッドが、最初の二コマでは左から右へ、あとの二コマでは右から左へと動いていて、背景の描かれ方とあいまって全体としてシンメトリックなコマの構造になっていますが、一方で、3コマ目と4コマ目にも、左から右へのベクトルを感じる箇所はあります。

 

 まずは3コマ目の、走り去る列車です。線路に流れる煙が、画面右側に消えていく列車の動きを強調しています。これがあるからこそ、車掌の視線やイエロー・キッドらの、右から左への動きもまた強調されるのではないか。

 

 それと、4コマ目の白い雲のかたちをご覧ください。笑っているふたりの横顔に見えます(オウムが「笑いごとじゃないと思うぜ」と言ってます)。さかのぼって3コマ目、2コマ目と見てみると、こちらは驚いて口をあけているふたりのシルエットです。

 

 驚いているのはイエロー・キッドがすごいことをやってるからだし、笑っているのはイエロー・キッドが無事なのと、ぜんぜん懲りてないということがわかったからです。つまり、雲のかたちの変化は物語の展開に対応しているわけで、ここには左から右への不可逆的な向きがマンガ全体を貫いています。起承転結はシンメトリーではありません。