いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドとヤギの墓

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 1897年11月21日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 これを最初に言わなくてはなりません。画面右下に注目してください、ヤギのお墓がつくられています。「哀れなビル/片方の靴のように、最後まで忠実だった(Faithful to the last like a shoe)」と墓石に刻まれています。なにをするにももう片方の靴といっしょだった、という意味ですね。泣ける。

 

 墓石のそばには手紙がおいてあります。「ビリー、きみが旅立った先で、もっといい角を手に入れることを願っているよ(Billy we hope dat you will have a better pair of horns where you have went at)」という文章です。泣ける。

 

 イエロー・キッドや他のこどもたちは、わたしとはちがってまったく感傷的ではありません。マンガのタイトルも「ライアン横丁の感謝祭」ということで、みんなお祭りを楽しんでいます。

 

 イエロー・キッドは、右手に包丁を、左手にフォークみたいなトングみたいな道具をもち、ローラースケートをはいています。こんなのが猛然と走ってやってきたらと思うと怖いですね。頭には赤い帽子をかぶっています。フェズ(トルコ帽)ですね、ターキーつながりで。

 

 イエロー・キッドの寝巻きには「七面鳥が死んだら、彼の友だちが遺体の面倒を見るよ」と書いてあるのですが、七面鳥の友だちってだれのことだろう。こどもたちということかな。イエロー・キッドの胸ポケットにはクランベリーソースがぎっしり詰まっていて、肉をさばいたあとの準備もすでにできています。

 

 七面鳥は、イエロー・キッドのすぐうしろで、黒人の少年に首をつかまれながら歩いています。画面左にある断頭台のところまで行くのでしょう。黒人少年から出ているふきだしには「帽子のなかでしゃべってるぞ」とあり、七面鳥は「人殺し」と言ってますね。

 

 アレックスとジョージもいます。アレックスは太鼓のばちで顔をたたかれ、ジョージは「ボクら食用豚に乗ってるね、ボクらも殺されるんだろうね」と書かれた旗を手にしています。でもこのふたりはたぶん死なないでしょう。周囲のこどもたちはこのふたりをおもしろいおもちゃだと思っているので、生かさず殺さずでやっているはずです。

 

 背景の木の柵には、紙なのか布なのか、シートがはってあります。左のシートには、手足のはえた靴とフットボールが握手していて、靴が「やあ、久しぶりだね」とフットボールに挨拶してるという、謎の絵が描かれています。感謝祭にフットボールゲームをする伝統があるのだとしても、なんで「やあ、久しぶりだね」なのか。まだフットボールが根づいてないということなのか、それともイエロー・キッドたちはふだんは裸足でフットボールをやってるということなのか。

 

 「ライアンズ・アーケード/感謝祭のどんちゃん騒ぎ」というタイトルの大きな布には、ふたりの人物についての文章が書かれています。まずスウィプシー・フェラン(Swipsey Phelan)という人について、「かれは車輪を頭につけて精神病院に入りました」とあります。スウィピシー・フェラン...ちょっと覚えがないですが、だれのことかな。

 

 もうひとりは、なんとスリッピー・デンプシーについてです。最近見ないからどうしたのかなあとは思っていました。文章によると「スリッピーの最後の飛び下りとなったのは、かれが2ドル85セントを相続したときでした。スリッピーはいま、かれのお金をあちこちに放り投げている犬どものところに行っています」。

 

 ...まったくの急展開で混乱してしまいますが、どうやらスリッピー・デンプシーは、2ドル85セントのお金を受けとったあと、そのお金を犬どもにばらまかれてしまい、それの回収に必死なために趣味に興じている場合ではない、ということなのでしょう。だれか手伝ってやれ。

 

 ヤギの死に打ちひしがれていたら、今度はスリッピー・デンプシーの落下がもう見られないことがわかり、わたしの喪失感は増しています。なんかこう、関羽が死んだと思ったら張飛まで! みたいな。スリッピーは死んでませんけど。

 

 画面右上、豚の荷車に立つ少年がもっている旗にも、文章があります。「死ぬ運命にあるのが七面鳥だ」というタイトルですが、その下に「もし七面鳥がみんな、キリング・タイムのために殺されてしまったらどうしよう。ああ、かれらのアルメニア人虐殺はこれとは関係ないだろうけど(dem Armenian massacres wouldn't be in it)」と書いてあります。

 

 これもターキーつながりの政治ネタで、19世紀末のオスマン帝国でのアルメニア人虐殺(Armenian Genocide - Wikipedia, the free encyclopedia)を指しています。現在まで尾を引く大きな問題で、こんな深刻な事件をよく感謝祭のマンガにもってきたなと感じます。