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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドとそり遊び(2コマ)

イエロー・キッド

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 1897年12月12日『ニューヨーク・ジャーナル』の「イエロー・キッド」です。

 

 みんなでそり遊びをしています。コマがふたつあって、「1・いくぞ!」と、「2・いった!」とあります。動詞の語形変化のみを用いたシンプルなキャプションで、力強さはありますね。絵の意味を説明するものとしては「...まあ、なくてもいいかな」という気がしますが。

 

 左のコマでは、こどもたちがそりで斜面をすべっているところです。馬がスノーシューをひづめにつけて、そりを引いています。そりにはたくさんのこどもたちが乗っていて、重心が前に傾きすぎていてそりの後方が地面から離れていますね。あぶない。

 

 かれらのうえにイエロー・キッドが立ち乗りしています。寝巻きには「次になにが起こるか、いつだって気をつけてなくちゃダメだよ」と、ひとりごとか、あるいはそりのこどもたちへの注意喚起をしていて、いずれにせよこのことばは、読者の視線を次のコマへとうながすものです。

 

 画面左上には立て看板があり、「どこへ行くにも数マイル」「保険に入れば安心・傷害保険会社」と書かれています。立て看板のうえにはカラスが一羽とまっていて、イエロー・キッドの肩にとまるオウムと見つめあっています。なにか交信しているのでしょうか。

 

 画面右下にはアレックスとジョージです。ふたりのあいだに温度計があり、値はゼロを下回っていますので、けっこう寒いですね(さすがに摂氏だと思うけど...華氏で0度以下なら摂氏マイナス20度くらいですから、そりをやってる場合じゃないと思う)。アレックスがもつ看板には「ボクたちかなり寒いね(we are a frost)」と書かれていまして、これは「気温が低い」と同時に「笑いがとれない」という意味でもあります。そもそも笑いをとろうとしてたのか、というところは疑問です。

 

 右のコマに移りましょう。そりは案の定ひっくり返り、裏面が仰向けになっています。おそらく1のコマの直後が2のコマですね。

 

 馬とこどもたちの多くは下敷きで、その他のこどもも頭が雪に埋まっていたり、すでにそりから落ちて雪山のうえのほうで取り残されていたりします。前景では犬が「雪に埋まってやんの」と笑い、犬の前脚のさきでは、アレックスの帽子と温度計の上端とジョージの帽子が、雪のなかから飛び出しています。

 

 イエロー・キッドは無事です。「なにかが起こるってボク言ったでしょ」と笑ってますね。手のひらをこちらにむけて「とくとご覧あれ」といったアピールです。足下の黒猫も、読者のほうをむきながら賢そうに立っています。よこに流れるしっぽが優雅ですね。

 

 カラスは一言、「二度とない(nevermore)」とつぶやいています。エドガー・アラン・ポーの1845年の詩「大鴉」(The Raven - Wikipedia, the free encyclopedia)をネタにしてます。

 

 対してオウムは「古くさいこといいやがって! おまえは大鴉なんかじゃねえ、ジム・クロウだ」と、こっちはミンストレル・ショーのキャラクター、ジム・クロウ(Jim Crow (archetype) - Wikipedia, the free encyclopedia)をもちだしてきました。

 

 ジム・クロウが最初に演じられたのは1830年頃で、「大鴉」より古いのですが、19世紀後半、アメリカの南部諸州が黒人隔離の法律をつぎつぎと制定し、それらが19世紀末に「ジム・クロウ法」と総称されるようになっていました(Jim Crow laws - Wikipedia, the free encyclopedia)。ミンストレル・ショーは1890年代には下火になるものの、ジム・クロウの名はその後も生きのびるわけです。

 

 今回の「イエロー・キッド」には、いつものように黒人少女が登場しています。ここでは隔離はされておらず、みんななかよく遊んでいると思います。ただ、笑いをとれないアレックスとジョージのかわりに、お笑い要員のために彼女がかり出されてきたのかもしれないと思うと、これはこれで笑えなくなってしまいます。