いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと列車にひかれつづける男

f:id:miurak38:20160820103847p:plain

 1905年9月27日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 男がひとり、市街地にたたずんでいます。「家に帰ろうかな、それともまだダウンタウンにいようか? 帰るべきだな。いや、やっぱりまだダウンタウンにいたほうがいい。ああ、でも家に帰ったほうが...。路面電車に乗ろうか、あるいは高架鉄道か...」。どっちがいいのか悩んでますね。路面電車ならダウンタウンのほかの場所に、高架鉄道なら郊外の自宅に、ということかな。

 

 その路面電車が間近に迫っていることにも気づかず、男は2コマ目ではね飛ばされます。しかし空中を舞いながら「10分まてば電車に乗れる、それがいちばん早い、ただそれだと家の近くまでは行かないんだよな」と、さっきの考えごとのつづきをやってます。冷静というか鈍感というか。はね飛ばされ方が妙に優雅で、体操のあん馬をやっているみたいです。

 

 とばされた男は高架のうえに着陸します。またもうしろから列車が迫っていますが、男は「高架のうえに来ちゃったな、家に帰ったほうがいいってことなんだろうな」と悠長につぶやいています。で、次のコマでまた列車にはねられる。「うわ! くそう運転手どもめ、この街の運転手は頭をつかうこともできないのか」。

 

 落ちたところはまたしても線路のうえです。なぜこうも線路から離れられないのか、奇妙な偶然がつづいて恐怖するところですが、男はそういうことには無関心のようです。「まてよ、そうか、列車だと家に帰るまで20分かかるな、それなら車に乗るってのはどうだろう?」と、新たな選択肢について考えはじめました。

 

 そして、またまた列車に衝突です。「なんですぐにこうなるんだ? 疲れてきたよもう。でも...」。セリフが次のコマにつづきます。「車に乗れば六時には帰宅できるはずだ、いちばん速い手段で帰るべきだ、だって...」。

 

 男は列車にはね飛ばされますが、つぎに着地する場所は線路ではありませんでした。しかしすぐうしろ、今度は車が一台、こちらに猛然と向かってきています。で、四回目の事故。

 

 宙を舞う男のセリフは前のコマのつづきです。「ダウンタウンにいたら、ゆうべみたいに酔っぱらってしまうよ。このひとたちスピード出しすぎだよね...あ、酔っぱらってたぞ」。男はそのまま水のなかに落ち、次いでベッドから落ちています。

 

 このマンガは、「ぶつかりそう → ぶつかった」のくりかえしで、リズミカルですが、6コマ目あたりから主人公の男のセリフがずっとつづいていて、話の前半より後半のほうが速いテンポに感じ、その分だけ「ぶつかりそう → ぶつかった」の反復の単調さが減じています。後半部にいくにつれ興奮がもりあがっていく感じ。

 

 マンガは静止画ですが、コマの連続やことばがもつ時間性のおかげで、読者はマンガのなかに動きを想像できます。体操のあん馬のような体勢で空中にいる男が、そのまま鉄道の高架へ着地する様子や、話の後半で男が矢継ぎ早に車両にひかれていく様子などを、読者は思い描くことができる。

 

 マンガが物語の時間の操作をどのように行っているのかを考えることが、その物語の意味を解釈するうえで大事であるような、そういうマンガもあるでしょう。ゆったりしてるとか、慌ただしいとか、さまざまな時間のあり方に敏感でいたいなと思います。