いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとチューインガム

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 1905年9月30日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 いつもの「レアビット」とはちがって、今回は横長の形式です。それにコマの数も16あり、いつもより多めですね。

 

 1905年9月30日は土曜日なのですが、この横長タイプの「レアビット」は土曜日特有のものです。いわゆる半ドン、平日のなかでは最も日曜に近い曜日ということで、新聞マンガもすこしだけ領土を拡大するという冒険に出ました。横長タイプの「レアビット」は通常の縦長タイプの約3倍あり、新聞紙面の上半分を占めています。これは「レアビット」が人気マンガだからこそできたことです。

 

 ただ、ブログで紹介すると、その大きさがあまり伝わらず、むしろ縦長タイプのものよりちいさく見えてしまいますね...。ウェブサイトが縦にスクロールするよう設計されているから仕方ないのですが。

 

 中身を見てみましょう。女性がタイプライターを打っています。近くの男性の言うことを文字にしているのでしょう。「その証券についてはよろこんで取引いたしますことをご連絡いたします。また...」とか言ってます。ビジネスの現場っぽいですね。ちなみに画面右下には、ちいさく書かれた「見積もり氏(Mr. Quote)」という名前が枠どられています。男性の名前でしょう。

 

 2コマ目、タイピストの様子がおかしいです。顔に色がついている。「あっ! ガムを飲んじゃったわ!」。ガム食べながら仕事してたのか...そんな職業はプロ野球選手だけかと思っていましたが、チューインガムを発明したトーマス・アダムスという人は、自身が秘書をやっていたときにチューインガムの着想を得た(Thomas Adams (chewing gum maker) - Wikipedia, the free encyclopedia)ということですので、もしかしたらそれと関係あるのかもしれない。

 

 タイピストの顔色はどんどん悪くなっていきます。「息ができない、苦しい!」。見積もり氏も「ああ、キャサリンさん、これは大変だ、顔が青くなってきた」とあわてています。4コマ目では「どうしたんですか」とやってきたスタッフに対し、見積もり氏が「ガムを飲み込んだんだ! 医者を呼んできてくれ! 顔が黒くなってるぞ、いそいで!」と大声を出します。キャサリンはもうしゃべることができません。

 

 キャサリンは医者に引き渡されます。「息ができないんです!」「先生、診察を、彼女が死んでしまう、はやく!」。先生は「恐水病(狂犬病)ですか」と言っていて、キャサリンはけいれんを起こしているのかな。

 

 6コマ目のキャサリンはもう、顔が真っ黒に塗られていて、まるでミンストレル・ショーの人みたいです。周囲では「救急車を呼んでくれ!」とか「どんなふうにガムを飲み込んだんですか」とか、「かわいそうに」とか、さわがしい感じです。パニックですね。で、このパニックが建物の外にも伝播したのか、次のコマ、到着した救急車のまわりの人だかりがすごい。救急車からふきだしが出ていて、「2分もたてばウォール街がパニックになるぞ」とあります。

 

 おなじコマではさらに「証券取引所の反応を待ってくれ!」「取引してなくてよかったよ」「彼女、死ななきゃいいけど」と、群衆の話し声が聞こえてきます。おそらくみな、株価下落を気にしているのではないでしょうか。パニックの意味が変化している。

 

 ついには新聞の号外が出るさわぎです。どういうわけか、新聞紙面には「ウォール街が破綻、数十億の損失、ガムがつまり大銀行が破産」とか、「J・P・モーガン茫然、J・D・ロックフェラー気絶、ラッセル・セイジ卒倒」とかの見出しがならんでいます。経済界の大物もショックを受けたようです。ほかにも「証券取引所は永久停止、大手信託会社ふきとぶ、国中で暴動」とありますね。

 

 なんでガムをつまらせると恐慌におちいるのか。おそらくこれは「(計画や仕事などを)ダメにする、狂わせる」という意味の英語 gum up に由来するのではないでしょうか。

 

 また、gum には「固めて動かなくする」という動詞の意味があるのですが、似た意味のbung「栓でふさぐ、つまらせる」などは、俗語で「破産する」という意味があるそうですから、今回の gum もそういうイメージだと思います。

 

 さて、病院に入ったキャサリンは、医師たちに診察されています。コマの外から「内蔵になにもなければ、ピアノをちょっとみてみよう」という言葉がありますが、臓器=オルガン(organ)と、あばら骨=ピアノとの対比なのかな。別の医師は「pollolapsicus に弾丸のようなものが見える」と言ってます。ポロラプシクス? ポロラサイカス? ぜんぜんわからない。「brazeoplutixes をみてくれ」「まわりに cozblauzem が...」。

 

 キャサリンは、息ができないまま診察を受けているのだろうか。もしそうならすでに息絶えていると思いますが、10コマ目では手術です。「あった! これだ!」「diabuxoblus のなかに入っていってたのか」「わたしが言ったとおりだ、つまりものが plusumicate してしまったんだ」...。

 

 ともあれ、ガムは無事に摘出されたようで、見積もり氏が戸口でこう言っています。「記者のみなさんにお知らせできてうれしく思います、わたしたちの患者は危機を脱しました。手術は成功し、ガムは取り出されました。彼女が元気になれば、金融業界は再開のときです。彼女は熱はなく、食欲があり、レアビットを6枚食べました」。おお、夢のなかでもレアビットを食べている...。

 

 場面かわって、荒廃したウォール街では警官がふたり立っています。「ここはかつて牛道(cow path)に使われてたらしいぜ、まさに歴史はくり返すだな、マイク」「ああ。だけどあの女の人、元気になったようだぞ。もしほんとうなら、まだまだ牛道にはなりそうもないな、そうだろトム?」という具合に、かれらはウォール街の歴史に言及しつつ、この街の今後を気にしているようですね。

 

 荒れはてて閑散としたウォール街とは対照的に、病院の前には人だかりができています。「彼女が死んでいたら、世界は終わりだったな」という声が聞かれるなか、ひとりの男性が病院のまえで「みなさん! どうかご辛抱ください、彼女はいま閣僚や大使の方々と面会中です、どうかお待ちを!」と声をあげています。各国の代表がキャサリンに会いにきてるんですね、彼女は世界を救ったわけですから(世界を破滅させるところでもありましたが)。

 

 病室のキャサリンは、エドワード王(エドワード7世)やロシア皇帝などと書かれた札のついた花束にかこまれながら、男性と会話中です。「わたしは舞台にあがるつもりなどないと59回ことわっています。申し出は週に500ドルから50000ドルまでつり上がっていますけれど。まだ上げますか?」「まさにそのことでお話があるのです、わたしどもは一晩に100000ドル出しましょう、それであなたをスターにいたします、それから私用の自動車と、メイド、使用人、美容師を100人おつけします」...。ちょっと、展開についていくのが難しいですが、キャサリンは一躍、時の人になったわけです。

 

 15コマ目、「ブラボー!」「すごいぞキャサリン!」「きみは我が国の救世主だ!」「彼女は不死身だ!」などと群衆がさわぐなか、キャサリンが舞台にあがっています。これで...10万ドルということなのかな。表情は読みとれません。あまりのことに戸惑っているようにも思います。

 

 しかし最後のコマ、ベッドで目をさました女性はこう言っています、「ふああ...ああ、あと一時間寝ていたかったのに、残念、起きてしまったわ。まったく、なんて夢をみたのかしら、あのレアビットはよかったわね」。なんと、悪夢じゃなかった。こういうケースもあるんですね。