いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとあくび親子

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 1906年3月8日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「そうさママ、局長が昨日言ってたんだけど、ぼくは社内でいちばん聡明なんだよ。考えるのが早いんだ」と、いけ好かない男が母親に自慢してます。「それを聞いたときは、その通りだってぼくも思った」。

 

 でも母親は、どういうわけか、あくびばかりしています。「ふああ...ごめんなさい」。退屈?

 

 3コマ目で、あくびが息子にもうつります。「頭の回転が早くないといけないのね」「そうなんだ。けっこう早くないと...ふああ、おっと失礼」。

 

 あとはいつもの「レアビット」の調子で、ふたりともあくびが止まらず、しかも口がどんどん大きくなっていきます。9コマ目とか不気味ですね。大きく開いた穴からなにか出てきそうな。

 

 あくびをうつされた息子は、「フェアに行けるようにしてくれたね」と言ってますが...フェアとは同年のミラノ万博のことでしょうか、それとも家畜の品評会とか? いずれにせよ何らかの見せ物になっちゃったということでしょう。これを楽しめるとは、当時の人々はけっこうな胆力の持ち主だったんだろうと思います。

ジグスとパイプ

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 1913年1月10日『オマハ・デイリー・ビー』(上)と、1913年1月17日『リッチモンドパラジウム&サン・テレグラム』(下)に掲載された「親爺教育」です。

 

 前回の「親爺教育」記事で言うのを忘れてましたが、「親爺教育」はマッケイのマンガとはちがって、全米各地の新聞に掲載されていました。

 

 「リトル・ニモ」や「レアビット」の頃は、各新聞社がそれぞれ漫画家をかかえていました。マッケイはニューヨーク・ヘラルド社から給料をもらっていたわけです。

 

 でも1910年代になるとマンガ専門の「シンジケート」=新聞記事配信会社が勢力を伸ばします。各新聞社にとっては、自社の漫画家の人件費を払うより、シンジケートからマンガを購入する方が安上がり、という判断だったと思います。

 

 「親爺教育」もスター・カンパニーというシンジケートのマンガで、このシンジケートを経営していたのは新聞王ハーストです。新聞紙面にマンガをどんどん導入した人です(のちにマッケイもハーストのもとで働くようになります)。

 

 上のエピソードは、自宅でパーティーを開いているところに、ジグスが旧友の労働者をつれてきてパーティーを台なしにする、という話です。

 

 1コマ目に息子がいますね...前の記事で「もう出てこない」と言ってしまいましたが。それとジグスは妻のことを「マギー」と読んでいます。ただ、マギーは自分の名前を人前でそう呼ばれたくないようです。

 

 下のエピソードもパーティー直前の場面です。ジグスはシャツを着替えるのですが、シャツがきついので「マギーが息子のとまちがえたんだな」と言って、シャツを脱いだまま客の前に出てしまいます。「ねえマギー ...あ、いや、マーガレット、シャツまちがえてるよ」。

 

 19世紀西洋では「上流階級はパイプでタバコを吸わない」というイメージがあったそうなので(パイプ (たばこ) - Wikipedia)、パイプをくわえたままなのもダメだったみたいです。じつは1コマ目で、ジグスはマギーに「パイプ持ってこないでよね」と釘をさされているのでした。

 

 パイプのアメリカ人といえばやっぱりGHQマッカーサーですが、パイプに備わるイメージの歴史を辿ってみるのもおもしろそうです。

ジグスと親爺教育

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 1913年1月2日に新聞掲載された「親爺教育」というマンガです。

 

 ウィンザー・マッケイの「眠りの国のリトル・ニモ」「レアビット狂の夢」ばっかりアップするのに少し飽きてきたので、いま個人的にハマっているマンガもたまに紹介したいと思います。

 

 「親爺教育 Bringing Up Father」は、ジョージ・マクマナスという漫画家によって生み出されました。マッケイの友人です。上に載せたのが連載第1回のエピソードです。

 

 1コマ目、いちばん左に立っているのが主人公のジグスです。そのすぐ隣に立っている大柄の女性はジグスの妻マギーです...ただ、このエピソードでは名前が「メアリー」になっていますが。

 

 その隣にいるのは息子と娘です。息子はたぶん、この回にしか出てきません。娘はだいぶ後になってから、ジグスとマギーに次いで重要なキャラクターとなります。

 

 上のエピソードは、マギー(メアリー)がジグスに「良家のお嬢さんが息子に会いにくるから、身なりをちゃんとして応対してね」と言われてるところから始まります。

 

 前提として、ジグスとマギーはもともと貧しい労働者階級だったけれどいまは経済的に豊かな暮らしを送っている、という設定があります。あとは教養を身につけて社交界でうまくやれれば、立派な上流階級というわけです。マギーと子供たちは上流階級としてのふるまいをわかっている人たちです。

 

 ところが、ジグスだけは上流階級的ふるまいを身につけるのに苦しんでいます。というよりジグスは身につけようとしないのです。マギーはなんとかしてジグスを社交界の大立者にしたくて、セレブにふさわしいたしなみをジグスに教育しようとするのですが(タイトルの「親爺教育」とはそういう意味です)、なかなかうまくいきません。

 

 このエピソードでも、ジグスは「ねえメアリー、魚の目が痛くてこの靴はけないんだけど」と、着替え途中のまま客の前に現れます。それで家族ががっかりする、というオチです。たしかにもし自分が家にガールフレンド連れてきて、父親が裸みたいな格好で出てきたら「ふざけんなよ!」となりますね...。

 

 「親爺教育」は、このエピソードの10年後の1923年4月1日、日刊紙『アサヒグラフ』に翻訳掲載され、日本でも人気が出ました。手塚治虫もそれを読んでいたのです。

リトル・ニモと魔法の杖

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 1908年3月29日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモがやってきた街は、ひび割れの壁と割れた窓ガラスの建物ばかりで、街灯も傾いていて、すごく貧しい雰囲気のところです。ニモも言うように「ぜんぶおんぼろ」です。

 

 するととつぜん、ニモの頭上から妖精みたいなのがあらわれ、ニモに魔法の杖を授けます。「願いが叶うのよ。持っていきなさい」だそうです。そんなことよりニモをプリンセスのところに連れていってあげればいいのに...。というかニモはその杖で「プリンセスに会えますように」とお願いすればいいんじゃないか!

 

 でもニモはそうせず、この街をぶらぶら歩きます。そして、4コマ目で痩せこけた子どもに出会うと、子どもに杖をかざして「かわいい帽子とドレスがいい!」と言って、子どもの身なりをきれいにしてあげます。

 

 ニモはそうやって、出会う子どもたちをみな着飾っていきます。しかも衣服をきれいにするだけでなく、7コマ目に登場する盲の子どもの目を治したり、8コマ目の片足の少年を松葉杖いらずにしてあげたりと、魔法使いのような働きをします。

 

 貧民街の人心をつかんだニモは自信たっぷりです。「ぼくはリトル・ニモ! ぼくについてきて、そうすればみんな幸せになれるよ! ここをパラダイスに変えてみせる!」

 

 そんなステキな夢をみたニモですが、目覚めとともに隣の部屋から「起きなさい、ニモ! エイプリルフールよ!」と声が聞こえてきます...。そうか4月1日が近かった...。ちょっとこれ、マッケイ性格悪くないですか?

リトル・ニモとオオカミとクマ

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 1908年3月22日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ひとりになってしまったニモは、山道を歩いています。「さびしいところだなあ。どっちに行けばいいんだろう」。すぐうしろにオオカミがいますね。

 

 次のコマになるとオオカミがもう一匹あらわれ、その後もオオカミがどんどん増えていきます。ニモは「こんなにいっぱい...ぼくを食べようとしてるのかな」と怖がりますが、オオカミたちはニモを襲おうとせず、ニモを取り囲みながらいっしょに歩いていきます。かわいいですね!

 

 6コマ目、今度はクマが登場したかと思うと、こちらもたくさんいることが次のコマでわかります。逆にオオカミたちは、せっかく仲良くなったと思ったのにもうさよならです。ニモは「置いてかないで!」と、ひとりぼっちになるさびしさとクマの恐怖とで泣きそうになりますが、クマはやはりニモを襲おうとしません。「顔をなめないでよ」とニモが言ってますね...かわいいですね!

 

 クマの群れを引き連れたニモは、見晴らしのいいところにやってきました。そこから見えるのは、一面に広がるくすんだ色の街並みです。高い塔がいくつかありますが、どれも傾いています。ニモはこれからこの街に行ってみるようです。

レアビットとエールビール

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 1906年3月1日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「いらっしゃい! 何にします?」「冷たいエールビールを大きいグラスでたのむ。のどがカラカラだ」「はいどうぞ。今日は暑いですね」という会話が、バーテンダーと客のあいだで交わされています。

 

 ところがバーテンが出したビールのグラスは、コマを追うごとにどんどん大きくなっていきます。バーテンいわく「そのビール、今日ずっと変なんですよ」だそうで、ふしぎと落ちつきはらっています。

 

 客はもちろん驚くんですが(What ails this ale?)、のどが渇いたのでどうにかして飲みたいと思い、椅子や梯子をつかってなんとかグラスの縁に口をつけようとがんばります。でもグラスが大きくなりつづけているので、飲むことができません。

 

 最後は消防士たちもやってくるのですが、「これ以上は上にいけません。あきらめてください」ということで、結局ムリでした。ビールはたくさんあるのに飲めないなんてかわいそうですね。夢から覚めた男はどうやらすぐに冷たい水が飲めそうでよかったです。

レアビットとロケット男

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 1906年2月27日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「あいつ、いったいどういうつもりなんだ? あの株が下がったらあんなことやこんなことをするんだろう! とにかく電話しないと」「遊びでやってるんじゃないぞ...」と、男がなにやら血相かえて走っています。ビジネスの場面ですね。

 

 男は2コマ目で体勢をくずし、前のめりに倒れていきます。「なににつまずいたんだ? 転んじまう...」。しかし男はその場で倒れ込むのではなく、まるでロケットのように、前に飛んでいきます。

 

 男は「うわ! すみません! こりゃひどい!」とか言いながら、本を持って歩いている人や、大量の紙を持っている人、机でタイプライターに向かっている人などにぶつかっていきます。

 

 どうでもいいですけど、どんな角度で机に当たったらこんなふうに机が傾くのか...。それとタイピストの女性には直接当たってないように見えますが、女性も体をくずしてますね。なんででしょうね。雰囲気?

 

 9コマ目でようやく止まります。金庫でしょうかね。男の体はアコーディオンを押したかのように縮み、アルファベットでは書きあらわせない声を出しています。

 

 ほんとマッケイはこういう、物や状況がぐちゃぐちゃになっていくのを描くのが好きです。ニーズがあったんでしょうか。大友克洋AKIRA』の都市破壊シーンをずっと眺めてるのが好きみたいな、破壊シミュレーション願望がむかしから人の心に備わっているのか。

 

 ここまで書いていま気づきましたが、rocket には「(価格などが)急騰する」という意味があります。もしかして株価を上げたい気持ちがあったからこんなことに...。