いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドの引っ越し

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 1896年10月18日の『ニューヨーク・ジャーナル』紙に掲載されたイエロー・キッド。

 

 この二週間前まで、イエロー・キッドは『ニューヨーク・ワールド』紙に掲載されていましたが、上のマンガから『ジャーナル』に移籍しました。イエロー・キッドの人気に目を付けた(というか目を付けようとしなくとも目に入ってきたんだと思いますが)『ジャーナル』社主、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが、作者アウトコールトを引き抜いたのでした。

 

 『ワールド』では「ホーガン横丁」というタイトルで連載していて、このタイトルは『ワールド』が所有するものでしたので、『ジャーナル』では「ホーガン横丁」ではなく「マクファデン通り」に変わりました。なのでマンガでは、イエロー・キッドたちの引っ越し風景が描かれているわけです。

 

 どうやら、「イエロー・キッド」というキャラクターの名前や人格は、『ワールド』所有のものではなかったようですね。ただ、これは作者アウトコールトのものでもなかったようで、アウトコールトが去った『ワールド』では、ジョージ・ラクスという別の人物が「ホーガン横丁」を開始し、そこにはラクス描くイエロー・キッドが登場していました。

 

 しかもイエロー・キッドは、アウトコールトやラクスだけではなく、無名の漫画家たちによっても数多く描かれていたようです(主に商品広告の場で)。一方でイエロー・キッドの所有をめぐって法廷で争われた記録はないので*1、誰でも使ってよかったんでしょうか。ミッキー・マウスでそのような状況は考えられませんが...。

*1:Mark D. Winchester, "Litigation and Early Comic Strips: The Lawsuits of Outcault, Dirks and Fisher," Inks, 2.2(1995), pp.16-25.