いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビット2号とこれまでのマンガについて

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 またレアビットを食べました。おいしかったです。

 

 前回と同様、バゲットにチーズ的なものを乗せて焼いたわけですが、チーズ的なものの中身が前回の1号とは微妙にちがいます。今回は、

 ・チェダーチーズ

 ・牛乳

 ・マスタード

 ・ウスターソース

 ・バター

 ・はちみつ

です。ビールではなく牛乳を入れました。また、はちみつも少しだけ入っています。マスタードは前回の半分くらいの量です。

 

 全体的に、1号よりも軽い感じのレアビットでした。ビールを入れていないので、当然ながらビールの香りや苦みはなく、またマスタードの酸味も抑えられています。1号が酒のつまみとすれば、2号は朝食ですね。

 

 ...いま妻から「焼き方も変えたよ!」と指摘されたので、それも書きます。

 

 1号のときは、まずパンだけ焼いて、そのあとチーズ的なものを乗せてトースト。2号では、生パンにチーズ的なものを乗せて、二度焼きです。2号のやり方だと、チーズに焦げ目ができました。これは1号にはないおいしさでした。

 

 さてさて、このブログを始めて一ヶ月弱ですが、これまで三種類のマンガをローテーションで紹介しています。

 

リチャード・アウトコールト「イエロー・キッド」

 『ニューヨーク・ワールド』紙にカラーでの掲載です。掲載期間は1895〜98年。『ワールド』を経営していたのはジョゼフ・ピュリッツァー。「ピュリッツァー賞」の人ですね。

 

 カラーの新聞マンガは、日曜日の新聞の付録としてついてきました。「イエロー・キッド」の頃は平日の新聞にマンガはほぼなく、マンガは日曜日のお楽しみでした。

 

 「イエロー・キッド」は大変人気で、新聞がよく売れたほか、さまざまな広告にイエロー・キッドが顔を出したり、イエロー・キッド商品が数多く生まれたりしました。

 

ウィンザー・マッケイ「眠りの国のリトル・ニモ」

 『ニューヨーク・ヘラルド』紙にカラーでの掲載です。掲載期間は1905〜11年。その後、『ニューヨーク・アメリカン』という別の新聞に移籍したり、少ししてまた『ヘラルド』に戻ってきたりします。最後の新聞掲載は1926年でした。

 

 「リトル・ニモ」もとても人気があり、舞台化されています。それと、マッケイは「リトル・ニモ」のアニメーション映画を作りました(1911年)。マンガのキャラクターのアニメ化としてはおそらく史上初です。

 

ウィンザー・マッケイ「レアビット狂の夢」

 ニューヨーク・ヘラルド社は『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』という夕刊を出していまして、それに載ったのが「レアビット狂の夢」です。

 

 この夕刊は(号外を除き)日曜日には出ず、カラーのマンガ付録もありません。「レアビット」は月曜から土曜のうち2〜3回、他のマンガや小話などと同じページに白黒で掲載されていました。掲載期間は1904〜11年で、その後『ヘラルド』紙にカラー掲載されることもありました。

 

 このマンガも人気がありました(人気がなければ7年も掲載されません)。実写映画化され(1906年)、また後年、マッケイによるアニメ化もなされました。

 

 

 いずれ、この三つ以外のマンガもブログで紹介していこうと思っています。