いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

イエロー・キッドと闘牛

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 1896年8月23日『ニューヨーク・ワールド』の「イエロー・キッド」です。

 

 前回は北極で暴れていたこどもたちでしたが、今回はホーガン横丁に戻ってきて暴れています。イエロー・キッドは画面右下にいますね。手には赤い布を持ち、闘牛士のようです。闘牛士の帽子もかぶっています。寝巻きには「あいつ、次はボクのところにとんでくるね、逃げなきゃ(Hes going ter make a flyin lep fer me in a minit, an I wont be here)」と書いてあります。

 

 「あいつ」とはもちろん、中央で土煙をあげているヤギです。「うまくいった、やったぜ(Thats the time I made a big hit)」とつぶやいています。よく見るとヤギの左側にはだれか倒れていますね。ヤギは絶好調のようです。

 

 ヤギの頭からは、無数の線が右上に向かって放たれています。ヤギに激突しただれかが飛んでいったことを示しているわけですが、肝心のその犠牲者が上には描かれてはいません。観客のひとりが「おい見ろよ、チミーのやつ、向こうのページにいるぞ(Hully chee look at Chimmie on de odder page)」と言ってますので、では向こうのページを見てみましょう。

 

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 画像をつなげると、こんな感じです。

 

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 ちょっと雑なつなげ方で申し訳ないですが、少年がヤギに飛ばされて隣のページに突入していることは、おわかりいただけたかなと思います。ついでに言うと、飛ばされてる少年の下には電線に引っかかっている少年もいますね。

 

 いやあ、すごいフレームの取り方です。ページをまたいで掲載されるマンガというのも当時としてはわりと目新しいものだったと思いますが、加えてそのフレームが見開き全部の長方形というわけでもなく、すごくでこぼこしています。けっこう珍しいですね。

 

 「イエロー・キッド」を含む『ワールド』の日曜付録の編集に当時携わっていたのは、アーサー・ブリズベン(Arthur Brisbane)という人です。かなり面白い人生を歩んだ人で、アウトコールトだけでなくマッケイにも関わりのある編集者です。いずれまとめて紹介したいところですがいつになるかわかりませんので(笑)、待てないという方は、

 

 ジョイス・ミルトン『イエロー・キッズ:アメリカ大衆新聞の夜明け』仙名紀訳、文藝春秋、1992年

 デイヴィッド・ナソー『新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストの生涯』井上広美訳、日経BP社、2002年

 

などをお読みになるとよいと思います。ブリズベンのことや、当時のアメリカ新聞業界のことがいろいろ書いてあって勉強になります。