いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと10人の妻

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 1905年4月8日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 いきなり男性の口から後悔の言葉がもれ出しています。「ユタ州になんか来なければよかった、モルモン教に入らなければよかった、妻を10人も迎えるんじゃなかった」だそうです。

 

 アメリカ西部にあるユタ州は、1840年代にモルモン教の信者たちが入植してきた場所です。もともとはアメリカ東部にいた信者たちですが、非モルモン教徒との対立が激しくなったために、西のほうまで来たのですね。現在ソルトレイクシティという名前になっている場所まできて、そこで落ち着きます。

 

 開拓がはじまった頃は、この入植地はまだ「ユタ州」ではなく、そもそもメキシコ領でしたが、1846年のアメリカ・メキシコ戦争ののちにアメリカ領となり、1850年に「ユタ準州」が生まれました。そのときにはもう、この場所にはモルモン教徒たちがたくさん住むようになっていました。

 

 ただこの当時、モルモン教は一夫多妻を認めていました。もちろんモルモン教徒以外の市民は反発し、合衆国政府からも睨まれ、そのせいで準州から州へ格上げになることもありませんでした。モルモン教が一夫多妻制を禁止したのが1890年で、その数年後、ユタは州へと昇格します。

 

 上のマンガが掲載された1905年にはすでに、モルモン教は一夫多妻を認めていないはずなのですが、マンガのネタにはなり続けていたというわけですね。

 

 さて、マンガのなかの男性がなぜ後悔しているのかというと、仕事で稼いだお金を奥さんたちに取られてしまうからです。銀行の窓口に大挙押し寄せている奥さんたちはみな「現ナマの見張り(on the lookout for the mazooma)」です。

 

 3コマ目で「いくらあるの? 見せなさいよ(How much did you draw? Let's see, count it again)」、4コマ目で「ビール? ふざけないでよ、すぐ帰りますよ(Not one beer huh and get drunk eh? No you come right home)」、5コマ目で「ほら、分けるから出して!(Come on! Divvy up dig down!)」などなど。ビール一杯くらいいいじゃないか...。

 

 で、6コマ目で夫がついに意を決して、お前たちに金はやらんと宣言します。すると次の7コマ目で夫は、奥さんたちから逆襲されてしまいます。

 

 このコマは、奥さんたちの殴打が激しすぎることの表現ですが、どの奥さんがどういうふうに叩いたとか、どの奥さんの言葉だとか(ところどころに台詞が書かれてます)、そういうことは重要視されていません。奥さんひとりひとりに個性はなく、全員でひとつの怪物みたいになっていて、それに翻弄される夫がひたすら描かれてます。

 

 同時に、他のコマと比べてこのコマだけは時間の流れ方がちがう印象があります。このコマには終わりがないというか。顔や手がいくつも描かれていてそれが異時同図の効果を生み出しているからだと思います。

 

 また、言葉がふきだしに囲まれていないことも関係しているのではないか。ふきだしは(とくにしっぽのついたものは)、それが発話された時間軸の一点を定めるように思うんですが、このコマではそれが失われています。妻たちの言葉は、永遠とも思われる苦痛に耐え続ける夫の耳に、つねに聞こえてくる喧噪としてあるのではないでしょうか。