いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

リトル・ニモと海水浴

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 1906年8月19日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモたちは海にやってきました。バラの香りのする海だそうです。2コマ目でもう着替えていますね。お姫さまは海に入って泳ぐような服には見えませんが、この当時はこうだったのかな。と思って以下のサイトを見てみたら(Sea bathing - Wikipedia, the free encyclopedia)、19世紀の女性たちはお姫さまとあまり変わらない水着を着ていました。

 

 ふたりはアクロバット芸人たちに挨拶をされます。あとで芸を見せることになっているようです。ニモは「海に入る前に芸人たちのショーを見たいんだけど...」と4コマ目で言ってますが、お姫さまは聞かず、海のうえに建っている東屋みたいなところに向かいます。

 

 どうやら海面を歩けるようで、泳げない人でも大丈夫というわけですが、ということはこの東屋も、海底に柱を打ち込んでいるのではなく、ニモたちのように海面を浮かんでいるということでしょうか。

 

 そう思って6・7コマ目を見ると、東屋の柱は、水平線もしくは浜辺の建物群に対して垂直にはなく、わずかに斜めになっています。たゆたっている感じですね。

 

 ニモは「歩きにくいなあ」と言ってます。波の動きがあって足下をすくわれるんでしょう。で、6コマ目で「だれか人を呼んでくれえ」とお姫さまに助けを求めると、お姫さまは東屋においてあるらっぱで人魚を呼び寄せ、すぐに人魚がやってきます。そういえば前回、「人魚に会いにいきましょう」という話をしてました。

 

 ニモは、人魚たちが来るのを待てなかったのか、それとも人魚たちがすぐに現われたことに驚いてしまったのか、いずれにせよ体がさかさまになってしまいました。

 

 ところで、3コマ目のアクロバット芸人たちは、いったいなんのために登場したんでしょうかね。一見すると物語にぜんぜん関係してなかったのですが、他のコマとの関連をなにか考えたい。

 

 ニモが東屋に向かうときの足下の不安定な状況が、まるで綱渡りをしているような感じはありました。おそらくアクロバット芸人たちは、海で芸を行うつもりだったのかもしれない。あるいは、アクロバット芸人たちの登場が、ニモの曲芸状況を暗示していたとか。

 

 また、芸人たちのなかに手足がやたら長い人がいて、それは人間の一般的なプロポーションとはちがうわけですが、そういう人は当時ダイム・ミュージアムなどで見世物になっていました(イエロー・キッドとダイム・ミュージアム - いたずらフィガロ)。で、見世物のなかにはたしか人魚もあったと思います。芸人たちと人魚たちは見世物という点でつながってもいるかな。

 

 全体をあらためて見渡してみると、1・2コマ目ではしっかりした地面に立つふたりのところから、遠くに青い海が見えていて、一方、7コマ目では不安定な海面が前景にあり、遠景に黄色(金色?)の建物が建ち並んでいるのが見えます。視点が正反対ですね。

 

 また、紙面の上半分は建物の黄色がテーマカラーで、下半分は海の青が大半を占めていて、物語の前半と後半がはっきりわかれています。ニモはちょうど紙面の下半分から状況が危うくなってきます。そう考えると、4コマ目でニモが「海に入る前に芸人たちのショーを見たいんだけど...」と言ってるのは、ニモが海に入りたくないことをほのめかしているんじゃないでしょうか。