いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと笑う月

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 1905年6月21日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 月がにたにた笑ってますね。いちばん下のコマなんか気持ち悪いです。月を眺める男女がなにを話しているのか、見ていきましょう。

 

 最初はいいムードのようです。すでに顔が現われている満月が夜空に浮かぶなか、男女は海を見ながら語らっています。「今夜は月がきれいだと思いませんか? わたしは月を眺めているのが好きなんですよ」「わたしもですわ。月の住人は、かわいらしい女性を見るとキスをする、なんて言われていますね」「なら、わたしは月の住人に嫉妬してしまいますよ。彼はもうあなたにキスしてしまったのかな? 答えてくれるかい?」「いやですわそんな。でも、そうね! 月の人にはキスされましたよ。けど他の人には...」「本当かなあ」。

 

 このふたりが結ばれることは、一見したところどうやら時間の問題で、夏目漱石の有名な逸話「月がきれいですね」を信じる日本人からすれば、彼らはすでにお互いに「愛してるよ」と告げています。しかし、そんな雰囲気のなか、水平線の向こうからふたつ目の満月が現われはじめました。

 

 男の「本当かなあ(I think you're fibbing)」という言葉は、女性が直前に言いかけた「けど他の人には(キスされていませんよ)」という言葉への返答で、もちろんかわいらしい女性をからかう気持ちから出たものですが、字義通りに考えれば、これは男が女性を疑っている言葉です。男は「月の人に嫉妬する」と先ほど言っていましたが、じつはそれは案外ジョークではなく、相手が月の人であれ誰であれ、この男は嫉妬深いのかもしれないという可能性が残る。もちろん真意はわかりません。

 

 男が「本当かなあ」と発している3コマ目で、男はふたつの満月に気づき驚愕します。「本当かなあ...あっ!? あの月、なんか変じゃないですか」。しかし女性は、月の異常に気づいておらず、むしろそんなことを言い出した男を怪しみはじめます。「いえ、そんなことないですわ。なぜそんなことをおっしゃるの? わたしにはとてもきれいな月としか見えませんけれど」。

 

 さらに4コマ目では月が三つも浮かんでいて、いま四つ目が浮かび上がるというところです。男は「なぜと言われても、月が変なのではという意味しかないですよ。わたしはもう帰ります」と、増えていく月が恐ろしくなってきたのか、デートどころではありません。

 

 しかし女性からすれば、男のふるまいはまったく合点がいかず、「おちついてください、月がわたしにキスしたことをあなた嫉妬してるんですか?」と問いかけます。直前の会話の話題が嫉妬に関するものでしたので、女性はその文脈から男性の行動を判断しようとしています。

 

 これ以降、ふたりの距離はどんどん広がっていきます。「まさかそんな。うそ言わないでくださいよ、あの月がきれいだって言うんですか? 変ですよ」「変なのはあなたですわ。こんなふうに動揺してるあなたを見るのははじめてです」。すれ違いが起こっていますね。ふたりが見ているものがそれぞれ違うので、仕方のないところです。

 

 6コマ目で男性は「あなた、わたしに信じさせてくださいよ、月はチーズでできてるんだってことをね。さようなら!」と、帽子をかぶって帰り支度です。「月はチーズでできている」は The moon was made of green cheese で、緑色のチーズとは若いチーズのことらしいですが、このマンガは嫉妬が主題になってますので、緑色の意味がそっちに引っぱられますね。「わたしじゃなくあの月が嫉妬に苦しむんならよかったのに」とでも解せます。

 

 ともかく男は、女性の「今夜はどうしてそんなに気難しいのかしら」という言葉に耳を傾けず、7コマ目で全力疾走で逃げ出します。「それでは! もうおしまいにしましょう、あなたとも、そのじろじろ見てくるやつらともね!」。

 

 女性は、去っていく男を見つめながら「前からずっと思ってたけどあいつバカよね、頭おかしいわよ」とまさかの発言です(笑)。冒頭のシーンと比べると、愛の覚めっぷりがすごい。空を埋め尽くす無数の月とおなじくらい、この女性も怖いです。