いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと辻馬車

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 1905年7月1日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 横から見た馬車の絵がどのコマにも描かれていて、前回の「レアビット」(レアビットとレアビット・タイヤ - いたずらフィガロ)と似てますね。おなじような絵を何枚も描いて、マッケイは飽きないんですかね。飽きないんでしょうね。アニメの原画を何千枚も描いちゃう人だし。

 

 馬が走る様子のイメージといえば、やはりエドワード・マイブリッジの馬の連続写真を思い起こします(Eadweard Muybridge - Wikipedia, the free encyclopedia)。その写真によれば、ふつう馬が走るとき、上のマンガの4・6・7コマ目のように馬の前脚と後脚がそれぞれ前後にのびて空中にあり、馬のお腹が地面に対して開けっ広げになる瞬間というのはありません。

 

 写真的なリアリズムに則れば(かならずしも則る必要はないですが)、馬の脚が四本すべて空中にあるときは、3・8・9コマ目のように、前脚は後ろを、後脚は前を向き、馬のお腹の真下で四本の脚が複雑に密集しているように描かなければなりません。

 

 じゃあ4・6・7コマ目のような姿勢を馬はじっさいにはとらないのかというと、たぶんそんなことはなく、馬が障害物をジャンプして乗り越えるときにはこの開けっ広げポーズになるんじゃないかと。まあでも、馬車の馬がそれやっちゃマズいかなとは思います。御者は慌ててはいないようですが。

 

 物語は、「もう疲れたし眠いから、馬車で帰ろう。おーい、こっちだ!」と、客が辻馬車をつかまえるところからはじまります。客は「レアビット食べたら眠くなっちゃったよ...ああ、よかった」と、馬車のなかでうたた寝しそうです。2コマ目の左下には、ちいさく「ヨンカーズ」と書いてます。マンハッタンのすぐ北にある街の名前ですね。馬車はどこまで行くんでしょうか。

 

 次のコマの地名は「オールバニー」となってます。ヨンカーズからさらに北上していて、この時点ですでにマンハッタンから200キロ以上離れたところまでやってきました。客はというと、うたた寝どころか「底が抜けてるよ!」とさわいでいます。客の足が客車の底を突き破っていて、両腕で客車の窓枠をつかみながら、馬車のスピードにあわせて自分も走っています。

 

 その調子で、4コマ目ではミルウォーキーを走っています。ミルウォーキーはシカゴの北、五大湖沿いの街です。客は「おい! 御者よ! 止まれ!」と叫んでますが、馬車はまったく止まる気配がありません。

 

 そのあとは、5コマ目でオマハ、6コマ目でシアトル、7コマ目でクロンダイクという旅路です。クロンダイクというのはアラスカ州に近いカナダの山奥で、19世紀末にゴールドラッシュがあったようですね。とりあえず②ヨンカーズから⑦クロンダイクまでの場所を図示するとこんな感じです。

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その間、客は「どうしよう、すわれない、底が完全に抜けてしまった」「止まれよおい! 聞こえないのか!」「これをずっとつづけられるわけがない」と叫びながら、なんとか持ちこたえています。オマハあたりから汗を流していますね。ロッキー山脈を越えてシアトルにたどり着いたころ、汗の量がすこし増えてるかな。

 

 で、このあと一気にムクデン、つまり中国の瀋陽に向かいます(瀋陽日露戦争中に激戦が繰り広げられた場所です)。さすがにクロンダイクから瀋陽という区間は厳しかったようで、アメリカ横断をやり遂げたこの客もたまらず「死ぬ! 死ぬ!」と絶叫です。そして今度はそこから、モスクワです。「もう走れない...」と、天を仰いでいるような姿勢ですね。馬と御者はかわらず元気です。

 

 最後のコマで、客は馬車から降りています。馬車に乗ったのは夢じゃなかったんですね。だからもしかしたら最初のコマは夢じゃなく現実世界で、2・3コマ目あたりから徐々に夢の世界の描写になっていたのかもしれません。

 

 客は御者に「きみにアドバイスだ、レアビットは食べちゃいかん。客車でうたた寝してたら最悪の夢を見たよ」と言いながらぐったりしている様子です。御者の「うめき声をあげてましたものね」という言葉が笑いを(それとすこしだけ客への同情を)誘います。