いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと落ちてくるパパ

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 1905年9月2日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 飛行船でしょうか、ロープが張り巡らされた空間の内と外で、会話がおこなわれています。「あんたは重すぎるが、じっとしてれば、上までつれていってやれるだろう。わたしもつれていってやりたいさ、ただじっとしてなきゃダメだ」「じっとしています、もちろんですとも。どんなふうに飛ぶのか、見てみたいんです」。となりで女性が「パパ、冗談よね? 冗談でしょ」と、父親の言うことが信じられないようです。

 

 娘はなおも「パパ! 飛ばないわよ、やめてよ!」と、父に乗船をやめるよう訴えます。父の体重によって恥をかくことを嫌がっているのか、それとも、万一の事故を不安に思っているのか、この段階ではちょっとわかりません。

 

 娘の言うことも聞かず、男は飛行船に乗り込んでいます。乗員が「まんなかでじっとしてるんだ。上はいい気分だぞ」と、男に期待をもたせています。

 

 3コマ目、飛び立ちました。しかしさっそく問題発生です。「おい、約束を守らなきゃダメだ、うしろのほうに行ってるじゃないか。まんなかでじっとしてるよう言っただろ、もっと前にくるんだ」。乗員が注意しています。たしかに男の位置が端によっています。男は「いや、動いてませんよ、あなたが前に来いというならそうしますが」と、自覚がないのか嘘をついてるのか、どっちでしょうね。

 

 地上の娘は「ああ!」と声をあげています。飛行船での会話が聞こえているのでしょうか。単に、会話の声が大きいということもあるでしょうが、娘が父を案じて父の状況に集中するあまり、聴力が極度に研ぎ澄まされているのかも。あるいは、これは夢の世界ですので、女性の知覚が自らの肉体に制限されていない、ということも考えられます。

 

 余談ですが、近年のマンガ研究は「このコマのイメージはどの作中人物が見ているイメージか」という問題や、「このコマのイメージはどの作中人物に内的焦点化させているイメージか」という問題への関心が高まっています。この関心の高まりは主に、泉信行さんの著作がもたらしたものです。視点の主観性の問題。

 

 また、宮本大人さんは近年の研究発表のなかで、「このコマのなかにある音声は、どの作中人物に聞こえている音声か」という、聴取点の主観性の問題をとりあげています。今回の「レアビット」のケースは、その問題意識にインスピレーションを受けたものです。

 

 マンガにおける主観性というテーマは、日本のみならず海外のマンガ研究でも盛んで、たとえば『人生を描く:マンガにおける記憶と主観性』(Drawing from Life: Memory and Subjectivity in Comic Art, ed. by Jane Tolmie, UP of Mississippi, 2013)というタイトルの論文集が刊行されています(いま少しずつ読んでる)。

 

 わたしも、マンガにおける視点や主観性の問題を考えながら、より多くのマンガ作品の魅力を引き出せるといいなあと思います。

 

 「レアビット」のつづき。4コマ目、乗員が「いそいで! 船の上昇スピードがはやすぎる! はやく前にくるんだ! こんなことなら乗せなければよかったかな」と慌てています。男は「ちょっとからだが大きいもので、はやくは動けません」と答えています。気づけば飛行船がすこし傾いていますね。重いほうが沈んでいる。

 

 娘は「パパがあんなバカだとは思わなかったわ」と、父に失望してますね。...こどもにこんなこと言われたらヘコむな...。

 

 5・6コマ目は、徐々にちいさくなる飛行船と反比例するかたちで、ふきだしが大きくなっています。「ちょっとちょっと! 前すぎ! なんだよもう、前にきすぎだっての! さがれさがれ、ぶんなぐるぞ!」「今度はうしろにさがりすぎだよ! なんでまんなかにいられないの? こっちにこい! ああもう! 出ていけ! これでもくらえ! この! この!」。

 

 飛行船は前が沈んだりうしろが沈んだり、シーソーのようになりながら空を飛びつづけますね。乗員は我慢の限界をむかえていて、ついに男をなぐりだしました。娘が「パパを船から投げ落とそうとしてるわ!」と叫んでいます。

 

 7コマ目、空に飛行船は見えず、かわりに大柄の男が見えます。もちろん落ちてくるパパですね。パパは落ちながら「大丈夫だ、心配するな、パパは完璧に着地するから、慌てないで。あの男、まったく無礼だよ...」と娘にしゃべっています。よくそんな余裕あるな。次のコマでも「大丈夫だ、パパは無事におりるから」と娘を安心させようとしますが、娘はハンカチで顔をおおいながら「ああ、パパ! どうして船に乗ったの? どうして? ああ、かわいそう!」と、すでに父の死を覚悟している様子です。

 

 パパは風船のように、ゆっくりと落下してきているみたいに見えますね。なかなか地面に到達しないし、発話も長いし。よっぽど高い場所から落ちてきてるのかな。パパは「万一の場合には、お母さんに伝えてくれ...」と言いながら、なおも落ちつづけています。

 

 わたしも、落ちつづける夢は見たことがあります。なかなか着地できないんですよねたしかに。しかしこのエピソードのように、だれかが落ちつづけるのを見ている、という夢は見たことがないかもしれない。ただ、風邪をひいて熱がでたときなどは、よく天井が落ちてくる夢を見ます。めちゃくちゃこわいです。