いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

リトル・ニモと荒れる海

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 1907年4月21日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 軍艦が大海原をつき進んでいます。船に押されて波がもりあがり、さらに舳先がその波をかきわけていて、迫力があります。ニモたちはコマのまんなかに小さく描かれています。デッキに乗っていて、船員といっしょですね。

 

 「どこに向かっているの? それにずいぶん速くすすんでるけれど」と、ニモたちのなかのだれかが船員に問いかけ、船員は「キャンディ諸島です、眠りの国のなかでもいちばんの美しさですよ」と答えています。たしか前回、船長が「ホンガラン諸島に行く」とか言ってたような気がしますが、目的地の名前がちがいますね。

 

 しかしそんな細かいことは気にせず、フリップはニモたちに話しかけます。「おい、おまえたち、もうすぐ嵐になるぞ、すごいのが来そうだぜ」。空を見て言ってるんでしょうかね。たしかにすこし暗いし、流れる雲のかたちが強風のときのそれになっています。目的地がどこかよりもよっぽど重要なことです。

 

 お姫さまは傘をさしながら「この船は大丈夫よ、沈んだりしないわ。心配することはぜんぜんないわよ」と、まったく不安を感じていません。ニモも「海の嵐を見てみたいなあ」と、のんきなものです。

 

 3コマ目、お姫さまの傘が、強風にあおられて裏返ってしまいました。傘はフリップにぶつかりそうになり、「そら、あんたの「バンバーシュート」だ! こいつはサイクロンだな」と軽口をたたくとともに(bumbershoot とは「傘」という意味です)、近づいてくるのがサイクロンだと言っています。さすがにニモも危険を察知したか、「下りたほうがいいよ、ね?」と、デッキから船室へ入ったほうがよさそうだと思っているようです。デッキは2コマ目とくらべてずいぶんと傾いできました。

 

 風はどんどん強さをまし、ニモたちの帽子が吹き飛ばされます。「司令官はどこに行ったんだ?」「ああ、こわいわ、船室はどこなの?」。ニモたちはデッキに取り残され、他の船員たちの姿はありません。5コマ目になると船の傾きが急にかわり、水しぶきがデッキに押し寄せるなか、ニモたちは画面の右上から左下へとすべっていきそうです。

 

 フリップはよろめきながらこう言います、「これは船酔いか、それともほんとうに揺れてるのか? どっちなんだ!」。どっちでしょう。

 

 これまでも何度かこういうことを言ってると思うのですが、世界が夢物語であるマンガの場合、描かれているイメージが主観的なのか客観的なのか、判断が難しいですね。この船の揺れが、客観的に見てこれほど揺れてるのか、それともニモの心理的な不安が実際以上の船の揺れをニモに感じさせているのか、わからない。

 

 もちろん「そのあたりは読者個人のおまかせで」ということになります。それはかまわないんですが、この夢物語の手法は「客観的に正しい出来事は存在しない」ことを認めてしまうので、正しい出来事の連鎖を読者がたどっていくような連載マンガをすべて夢物語で描くのは難しいだろうなあと思います。

 

 じっさいに、「リトル・ニモ」は連載マンガであるとはいえ、一話と一話のつながりは強固なものではない気がします。キャラクターや場面の連続性はあれど、物語全体のゴールみたいなもの(ニモが物語を通じて達成しようとしている目的など)は感じられず、ニモはつねに行き当たりばったりです。言われたところに行き、そこで驚き、夢からさめることのくり返しですね。

 

 6コマ目、デッキが波で洗われ、ニモたちは流されていきます。フリップは流されながら「さてさて、次は水びたしであります」と、余裕なのか、やけになっているのか、こんな状況でも芸人魂を発揮しています。

 

 5コマ目から6コマ目へ、読者が視線を動かすのに合わせるかたちで、波が右上から左下へと流れていますね。三人のうち、ニモはむかっていちばん右側にいたので、6コマ目でもいちばん右にいます。おかげで夢落ちコマに近い場所を流れることができ、読者は流れるニモとベッドから落ちるニモとを見比べやすいようにできています。