いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとぐらぐら動く世界

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 1906年1月3日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 男が煙突のてっぺんまでのぼってきました。どうやら友人たちと、煙突のてっぺんまでのぼれるかどうかの賭けをしていて、見事てっぺんまでのぼった彼が5ドルいただくようです(ただ彼は、下にいる友達が支払いに応じようとしてない声を聞いてもいます)。

 

 賭けに勝った男は、ちょっと休んでから下りようとするのですが、4コマ目で「めまいがするぞ」と言っています。と同時に、彼がしがみついている煙突から遠くの地平線にいたるまで、世界がすべて傾いでしまっています。

 

 もちろんこれは、「めまいのする男からは世界がこう見える」という一種の主観的な表現と捉えることもできますが、この世界は夢のなかなので何でもありですから、実際に世界がぐらぐら動いていると捉えることもできます。というか私は直感的には後者のようにこのマンガを読みます。

 

 そう感じるのはたぶん、「レアビット狂の夢」の主人公がいつも世界に翻弄されてばかりいるからなのではと思います。このマンガでは、登場人物の内面に迫るような表現に読者が唸るというようなことはまずなく(笑)、登場人物が人間扱いされていないのを見て読者が笑うというのが基本の楽しみ方ではないでしょうか。

 

 ベッドから落ちて夢からさめた男のセリフはこうです、「こうなることはわかっていたさ。わかってた! レアビットを食べると決まってこうなるんだ。でも好きなんだよね」。

 

 レアビットを食べるのが好きだし、夢のなかで翻弄されるのも好き。読者としては、たとえ登場人物がどんどん慌てていくとしても、いったん読みはじめたマンガは最後のコマまで読むのをやめられないので、マンガのなかの男が「それでも好き」と言ってくれるのは何よりです。