いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

リトル・ニモとシャンティタウン

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 1908年4月5日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモは貧民街の子どもたちを集めて、何でも好きなものに変えてしまう魔法の杖の力を見せるところです。さっそく、1コマ目の馬車が2コマ目で観光バスになりました。

 

 この観光バスは階段状になっていて、後部座席ほど高くなっています。昔はこういうバスがあったんでしょうか。今もある?

 

 バスに側面に「貧民街観光 Seeing Shantytown」と書かれています。ですがニモはここを貧民街でなく高級エリアにしたがっていて、魔法の杖で街並みを変えてしまいます。

 

 5コマ目のおんぼろ住宅は、6コマ目で巨大な建築物になりました。勝手に変えちゃって、土地や住宅の所有者に怒られないんでしょうか...でも立派な場所になったからむしろ喜ばれるのかな。

 

 7コマ目、開けた場所に来ました。乗客のひとりが「ここは唯一遊べる場所なんだ」と言い、また別の子どもが「でもここで遊んでると具合が悪くなるんだよね」とつづけています。

 

 大きな凹地で、中央には雑草が生い茂り、沼地のようなものも見えます。その中央部に向かって、外周からゴミの山がなだれていってます。ニューヨークも高層ビルばかりではなく、このように見捨てられた土地もあったのでしょう。

 

 ニモはここを自然豊かな公園に変えました。よく整備された庭園の真ん中に、立派な噴水が建てられています。

 

 貧民街が舞台なので、当時の読者は物語を現実のニューヨークと照らし合わせていたのではないでしょうか。とくに貧民街の読者がこのマンガをどう思っていたのか気になります。「いつかここも立派になるといいな」と希望を持ったり、あるいは現実逃避したりしていたのかもしれません。

 

 逆にお金持ちの子はどう考えていたのか。「貧民街みたいな汚い場所はこんなふうになくなってしまえばいいのに」と思っていたでしょうか。

 

 いずれにしても、「リトル・ニモ」は微妙に現実的な話になってしまい、不思議な夢の世界にどっぷり浸かるという感じではなくなってしまいました。うーん、個人的には「幻惑の間」のほうが好きかなあ...。

 

 ただ、マッケイはだいぶ後になって、新聞の社説に入れる挿絵(エディトリアル・カートゥーン)を制作するようになります。

 

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これは1934年6月の新聞ですので、マッケイ最晩年ですね。7月に亡くなってますから。

 

 上の絵は、ユニオン(労働組合)に入ってる労働者たちと非加入の労働者たちが喧嘩していて、一方ユニオンのリーダーと非加入労働者の雇用主は安全な場所でくつろいでる、というものです。これが描かれたくわしい経緯についてはあとでちゃんと勉強したいところですが、ともあれマッケイはこういう政治ネタの絵を描くこともありました。

 

 なのでもしかしたら、「リトル・ニモ」を描いているときも、マッケイは社会問題に意識的だったのかもしれません。ジャーナリストとしてのマッケイという視点から、何かおもしろいことが見えるといいなと思います。