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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとクォ・ヴァディス

レアビット狂の夢

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 1905年8月9日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 まず男女のうしろ姿があります。帽子の影が頭部にかかっていて、強い日差しがあることをうかがわせます。キャンバスとイーゼルをもっているようですので、写生に来たのでしょう。

 

 「いろんな色があるんじゃないかしら? わあ、なんて色合い! すばらしい場所ね、こんな場所をほかに見つけられるかしら...」「いや、このあたりじゃ見つけられないな。これ以上の配色はないよ、ここで絵を描くことにしよう、イーゼルさん(Miss Easle)」。先生と生徒の関係でしょうかね。

 

 ふたりはパラソルの下で絵を描きはじめます。パラソルがまたしてもふたりの顔に影を落とし、かれらがどんな顔なのかほとんどわかりません。かれらは風景の色を気にしているし、屋外で絵を描こうとしているので、おそらく印象派の影響を受けているものと思われますが、マッケイもそんな主題にあわせて、輪郭線だけじゃなく陰影もつけて多少なりとも絵画っぽく描いている、ということなのかもしれない。

 

 「中間色の見定め方はどうすれば...」「まず遠景について考えてみよう、かすんでいて、暖かく青みのある灰色(hazy, warm blueish grey)だ。中景はもっと抑制された色にする。わたしたちの周囲の色を決めるのはそれからだ。紫がかった緑色と、ところどころ赤くなっている部分(the masses of purpleish greens and broken reds)が見えるかい...」。

 

 色の説明って難しいですね。目の前に絵具と絵筆があれば、じっさいに紫と緑をまぜてみて「ああこういう色か」とわかるでしょうが、心のなかでそれを再現するのは案外難しく、またそれを言語化するのも難しい。紫と緑をそれぞれどの程度まぜるかによって、紫から緑までのグラデーションの位置が決まるわけですが、そのグラデーションに言語があわせられるのか。「リトル・ニモ」の魅力のひとつに色彩がありますが、いつも「この色のすばらしさをどう言い表せばよいのやら」と、おのれのことばの力のなさを痛感しています。

 

 3コマ目、とつぜん一頭の牛がかれらに近づいてきました。「えっ、なにかしら、いなくなってくれるといいけれど」「ほんものの雄牛だ。追い払わなければ」。ぎょっとする展開ですね。いやじっさい、知らぬ間に背後に牛がいたら変な声だして驚くはずですよ。

 

 しかし、この絵の先生はわりと冷静で、「クォ・ヴァディスのウルススを知っているだろう? わたしも彼のようにやれるのさ」と、なにやら自信たっぷりです。(4コマ目では、それまでとはちがい先生たちの顔がすっかり見えています。いつものマンガになりました。)

 

 ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチの『クォ・ヴァディス』(Henryk Sienkiewicz, Quo Vadis)は、1895年にポーランドの新聞に掲載され、1896年に本になりました(Quo Vadis (novel) - Wikipedia, the free encyclopedia)。同年すでにアメリカでも読まれていたようです。また1900年には舞台化され、さらには早くもその翌年に映画になっています。映画はその後いくつもつくられていて、有名なのは1951年のバージョンでしょうか(Quo Vadis (1951 film) - Wikipedia, the free encyclopedia)。

 

 ウルススというのは、本作のヒロインの一族に仕えている、屈強な従者の名前です。「熊」を意味する名前ですので、日本語だと「熊五郎」という感じかな。ちょっとコメディっぽい名前な気もするけれど。

 

 5コマ目で絵の先生は雄牛の角をつかんでいます。「雄牛を押し戻せそうですか」と女性が遠くから聞いていて、先生は「もうすぐしっかりつかめると思う、ちょっと待っててくれ」と答えています。前のコマですでに戦闘態勢だった雄牛の角を、よくあっさりとつかまえることができましたね先生すげえ。

 

 雄牛は先生の手を角から振り払おうと、首を大きく持ち上げて、その勢いで先生も地面から足が離れてしまいますが、それでも先生は角から手を離しません。「元気がいいな、すぐに疲れてくるとは思うが」。しかし、女性はどうも不安を感じているようで、「追い払うって言ってましたよね...」と、先生の力を信じきれていません。

 

 先生はそんな女性の声を気にしはじめたのか、「たのむからすこし我慢してくれないか、いま追い払うから、大声をあげないでくれ」と、女性に黙っているよう訴えています。でも女性はなおも「追い出して」と言い、黙ることをやめません。次の8コマ目でも「ああ! 追い払ってください」と声をあげています。

 

 先生はもうぜったいに角から手を離さず、なんとか雄牛をコントロールしようとしています。先生にとっては女性の声がはなはだじゃまで、「あなたがそんなふうに興奮しなければうまくやれるのに、わたしに話しかけるから集中できやしないよ、もう!」と、さかさまになりながら、牛のタックルを背中で受けとめています。

 

 「くそ! あのわめき立てるヤツを黙らせられれば、この牛の首をへし折れるのに」。先生は牛との格闘を終えることができません。女性は遠くで「追い払ってよ」と叫ぶばかりです。結局、先生はウルススのようにヒロインを助けるつもりが、ヒロインに終始じゃまされてしまい、結局ウルススになることはできませんでした。実力はあると思うんですけどね、惜しかった。