いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとマンガ家マンガ

f:id:miurak38:20170305073942p:plain

 1905年12月13日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 髪の毛を逆立てた編集者が、「ほら早くしろよ、マンガ家さんよお! おれたちゃあんたのこと待ってんだよ、笑えるものをちょうだいよ! わかる? おもしろいやつね! 聞いてんの?」とやかましく言っています。マンガ家は「わかってますよ」と答えながら、机に向かっています。かれはマッケイの自画像のようですね。

 

 マンガ家はほおづえをついていて、なかなかアイデアが浮かばないようです。編集者は立ち上がり、「なんかおもしろいのないの? あんたが引き出せるのは給料だけかい?」と失望の念をかくしません。いやはや、厳しい世界です。

 

 編集者の小言はなおもつづきます。「あんたのジョークはつまんないんだよ、このままだとクビさ。年鑑(almanac)を見てみなよ! 図書館に行っていろいろ参考にしてみるとかさ! 笑えりゃあいいんだよ。みんな笑いたいんだ、だからおれたちゃあんたを雇ってるんだよ。なのにあんたはそれができないで、ここに来てからずっと落書きしてるだけじゃないか。ちゃんとやれよ!」

 

 年鑑というのは、一年の気象予報や月の満ち欠け、潮汐などを記した刊行物で、農業の計画(種まきをいつ頃にするべきかなど)や教会の行事予定(祭事など)も含まれています(Almanac - Wikipedia)。で、年鑑のなかには「コミック年鑑」という種類のものもありました。編集者はマンガ家に、他のマンガを見て勉強しろ、と言っているわけです。

 

 さらに、編集者は「クスリでもなんでもやってさ、とにかく笑いをたのむよ! この仕事つづけたいんなら...おれは本気で言ってるんだぞ! 今日もつまんないマンガだったら、お払い箱だからな。せいいっぱいやれ!」と叱咤しています。いやー、もうパワハラですねこれは。現代のマンガ家さんたちがこうでないことを祈りますよ。

 

 もっとも、編集者にひどいことを言われている当のマンガ家は、あまり気にしてないようです。3コマ目に小鳥が登場して「レアビット狂だよ! あれをパクるのさ!」とマンガ家に入れ知恵しています。

 

 英語には A little bird told me that... という表現があって、文字通りには「小鳥が話してくれたんだけど...」となりますが、これは「風の便りで聞いたんですが...」という意味です。しかしこのマンガはそれを文字通りに視覚化しています。マッケイはこういう言葉遊びをよくやりますね。

 

 小鳥に教えてもらったマンガ家は、さっそく盗作を行います。懐から新聞をとりだし、やかましい編集者を気にせず、堂々とパクってます。で、見事、7コマ目で編集者にほめられます。「はっはっは! こんなおもしろいマンガ見たことないぞ! すごいすごい!」

 

 「今まででいちばんの傑作じゃないか! いいぞ!」と編集者に言われているマンガ家は、頭部がものすごく大きくなっています。big head は「うぬぼれる」という意味です。マンガ家は「とつぜん思いついたんだ!」と笑っていて、罪悪感はみじんもないようです。

 

 このマンガは『イブニング・ムーン』という新聞に掲載されます。9コマ目で子犬がそれを読んでいます。「リトル・ウィリー・ブリッチーズ:食べすぎの男の子(Little Willie Britches / The Boy Who Eats Too Much)」って書いてありますね。9コママンガです。内容は...よくわかりませんが、最後のコマはベッドが描かれています。「レアビット狂の夢」をパクったんだから当たり前か。

 

 で、これを読んでいる子犬は「サイラス」と書かれた首輪をしていて、「ご主人さまの絵だ!」と喜んでいます。絵柄までパクったのか...。

 

 この表現は、蓄音機から聞こえてくる飼い主の声に耳をかたむける犬(His Master's Voice - Wikipedia)のようですね。マッケイはそれを読者に連想させたかったから、新聞読者を子犬にしたんでしょうか。ちなみにマッケイも「ニモ」という名の犬を飼っていました。

 

 夢オチのコマには、ベッドの近くの貼紙がしてあって、こう書いてあります、「模倣はもっとも誠実なお世辞になる(Imitation is the sincerest form of flattery)」。これはまた、いろいろな解釈を生みそうな貼紙ですね。

 

 この主人公は現実にマンガ家で、他のマンガをどんどん模倣しながら自分のマンガを描いている、ということでしょうか。しかし模倣しながらの制作をつづけているうちに「模倣と盗作とはなにがちがうのか」という問題意識をもってしまい、それが夢にあらわれた、ということなのかな。

 

 こういったマンガを描くということは、マッケイが上の疑問をもっていることの表明になりますね。主人公もマッケイに似てるし。いずれにせよ今回のエピソードは、かなり初期の「マンガ家マンガ」と言えるかもしれません。