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いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと野球の審判

レアビット狂の夢

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 1905年6月10日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「へんな格好してるな、これから野球を観に行くってのに...審判でもするのか?」「そうだよ、わたしの力があれば心配ない、まあ見ててくれ」という会話からはじまります。野球の審判が今日の主人公ですね。

 

 2コマ目で早くもプレイボールです。審判って、こんなふうに素人が飛び入りみたいな感じでできるもんなのか。草野球かな...。でも下のほうのコマを見ると観客がけっこう入っていて、プロ野球みたいですが。ちなみにメジャーリーグは、ナショナルリーグが1876年、アメリカンリーグが1901年に発足しています。

 

 審判は「バッター! 早く! プレイボールだ!」と大きな声(文字)でバッターを呼んでいます。近くにいるのはキャッチャーでしょうか、「この新しい審判、冗談じゃなく本気だ」と、まじめにやらなくちゃと感じているようです。

 

 3コマ目は、じっさいにゲームがはじまり、ピッチャーから投げられたボールがいままさにキャッチャーミットに入ろうとするところですね。審判が大きすぎるし、バッターが小さすぎる。審判が大きな態度で高圧的にふるまい、選手たちがそれに萎縮するとする状況を、からだの大小で比喩的に示しているのでしょうか。以前にも、小人の上司に賃上げを要求する巨人の社員(しかし交渉をつづけるうちに体の大小が逆転する)というエピソードがありました(レアビットと賃上げ要求 - いたずらフィガロ)。

 

 しかし、からだの大きさがこんなにもちがうと、ストライクゾーンの判定がむずかしいものになります。3コマ目で審判は「ストライク・ワン!」とジャッジしていますが、ボールはバッターの頭上を飛んできていて、ストライクには見えません。バッターは「おいおい、どこに目をつけてるんだ」と審判に食い下がりますが、審判は4コマ目で「口答えをするな」とさらに高圧的で、バッターを見下ろしています。

 

 バッターも黙ってはいません。5コマ目で「ストライク・ツー!」と審判がジャッジする頃には、からだの大きさがみなおなじくらいになっています。バッターは「ふざけるな、もう我慢ならない」と、いよいよケンカをはじめようという気になっていますね。6コマ目で審判が「いいか教えてやる、オレが新しい審判だ、おまえのようなチンピラは許さないからな」とバッターに詰め寄るところなど、一触即発の状況です。

 

 7コマ目で審判が「ストライク! バッターアウト!」と宣言すると、これでバッターは沸点に達したのか、バッターのからだが巨大化します。「このガキ(whelp)...」と、まるで大人がこどもにムカついているような言い方で審判を見下ろしていて、審判は小人のようですね。バッターの反乱にたじろいだのかな。

 

 バッターはもう自分を抑えられず、小さな審判の足首を片手でつかみながら「おまえを正面スタンドにぶつけてやる」といって、審判を観客席のほうに投げつけようとしています。大きなおしりですね、さすが野球選手。あとはまあ、いつもの流れというか、崩れゆく建物のなかで「死ぬ! 死ぬ!」と主人公が叫んでおわりです。

 

 野球の審判というのはたいへんな仕事ですね。つねに双方のチームの選手が近くにいる場所でジャッジをしつづけなければならないし、選手に巨大化されないようにしながらゲームをコントロールしなくちゃならないし。キャッチャーが巨大化することもあるでしょうね。あるいはベンチから巨大化した監督がやってくることもあるでしょう。

 

 日本の野球マンガでは、選手たちの一球にかける意気込みや、相手選手をねじ伏せようとする熱量などを表現するために、じつにさまざまな視覚的比喩や迫力ある構図を用いています。上のマンガは、もちろん日本の野球マンガと直接の接点はないでしょうが、選手の心の動きを比喩的に表現する試みの早い例のひとつ、ということくらいはできるのではないでしょうか。