いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

リトル・ニモと柱廊の巨人

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 1907年9月8日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 4コマ目以降、立ちならぶ柱がだんだんと木々に変化していく様子が大胆に示されています。まずはその前段階をみていきましょう。

 

 ニモたちはモルフェウス王に会うためにこの宮殿へやってきたわけですが、いつもいつもジャングル・インプがじゃまをして、なかなか会うことができません。前回はジャングル・インプが部屋の照明を消してしまい、あたりがなにも見えなくなったのでした。

 

 今回の冒頭では、もはや王様の姿はありません。ジャングル・インプの教育係であるフリップは「彼女をお父さんに会わせてやってくれよ、おれらは外にいるからさ」と、責任を感じているような発言です。ニモも同調し、「そうだね、戻ってくるまで、ぼくたち外で待ってます」とキャンディに告げています。

 

 ドクター・ピルはお姫さまをエスコートします。「泣かないでくださいませ」。お姫さまは「パパに会いたいのに...」と顔をおおっていますね。あの強気なお姫さまが泣いてしまうとは。苛立ちや悲しみが頂点に達してしまったんでしょう。

 

 そんなわけで、お姫さまとドクター・ピルは退場します。キャンディも「すぐ戻るから着替えておいて!」とニモに言い残し立ち去ります。かわりに、ニモたちの前には背の高いひとがやってきて「こちらです、舞踏会用の服に着替えてください」と話しています。

 

 3コマ目、さっそく着替えました。ピエロのような服で、正装とは思えませんね。フリップも「これが舞踏会用の服なのかよ」と怪訝そうで、ジャングル・インプも笑ってます(かれは着替えないのか)。

 

 着替えを用意していた背の高い男は「あちらの柱廊でお待ちください、迷子にならないように!」とニモたちに伝え、着替えたニモたちは言われるまま柱廊にやってきます。それが4コマ目ですね。

 

 フリップは「この柱は黄金か、それともただの真鍮かな」と、柱が何でできているかを考えられる余裕がありますが、ニモは「わかんないけど、ここはすぐに迷子になりそうだね」と不安げです。たしかに、ニモたちが見上げているあたりは縦線が密集していて、柱と柱の境目がわかりにくくなっています。空間把握がやりにくい場所ですね。

 

 「迷子! ねえよ! 行ってみようぜ」「むこうでお姫さまを待つよう言われてるよ、戻ろうよ」。フリップが画面右にどんどん進もうとするのを、ニモが止めようとします。5コマ目は4コマ目とくらべて、色合いがすこし青みがかっています。また柱の線が直線ではなく、がさがさ揺れています。床には短い縦線がたくさん描かれていて、草のようですね。ジャングル・インプだけがそれに気づいています。

 

 6コマ目になるとさらに青みを増し、柱には茶色の筋が描かれています。木々になってきました。フリップはなおも「行こうぜ、すぐに戻れるさ、怖じ気づくなよ!」と、べつの場所に行こうとしていますが、ニモは「これ以上遠くには行けないよ、戻ろうよ」と怖がりはじめています。

 

 ジャングル・インプは柱の根元をなでていますね。景色の変化をさわって確かめようとしているのか。この景色の変化は、ニモの不安が引き起こした幻覚であるわけではなく、客観的に起こっている現実なのだということが、ジャングル・インプのしぐさによってわかります。

 

 7コマ目、赤い肌の巨人があらわれました。「ぼく帰る! なんかやってくるよ!」。ニモは一目散に画面左に走っていきます。フリップは「どうしたんだ、なにも来てねえよ」と言っていますが、ジャングル・インプも驚いていますので、やはりこの巨人たちは実際にここにいるようですね。この森に棲んでいるんでしょうかね。こんなに木が密集している場所に、いづらくないのかな。

 

 ところで、これ以降「リトル・ニモ」の物語は、ニモとフリップとジャングル・インプの三人がメイン・キャラクターとなります。お姫さまにかわってジャングル・インプがレギュラーになるわけです。大変なことですね。これまでは、お姫さまがリーダーシップを発揮して厄介ごとを避けようとしていましたが、そのブレーキ役のお姫さまにかわりアクセル役のジャングル・インプが入ってくるのですから。三人の少年の珍道中が楽しみです。

レアビットとクラップス

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 1905年11月11日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 ふしぎな絵ですね。大きなサイコロがふたつ、「証券取引所」と書かれた建物の屋上から落とされています。屋上にはふたりいますね。

 

 「おまえ、おれとおなじ額を賭けてばっかりだな、今度は1000か、おまえもう50万おれに借りてんのよ? わかってんの?」「わかってるさ、おれは何度だって同額を賭けるぜ、次の1000こそ勝つ!」、という会話です。

 

 投げたふたつのサイコロの和が7になれば勝つ、というルールのゲームは「クラップス(craps)」と呼ばれます。わたしも詳しいルールは知りませんが、カジノで人気のゲームらしいですね。

 

 サイコロが落とされました。むかって左の男が「来い! 7だ! 来い!」と声をあげます。サイコロはまっすぐ落ちて、見事、1・6が出ました。「っしゃあ! 勝った! もっとやるか?」「やるとも、まだ金はある、流れはかわるさ」。

 

 サイコロはクレーンで引き上げられ、次のゲームに入ります。負けたほうが「次は10000だ」って言ってまして、賭け金が10倍ですね。相手は「もしこれで勝てば、おまえから20000勝ったことになるな」ということですが、負けてるほうは意に介さず、ゲーム続行です。

 

 「来い! 7だ! 7! 金はおれのものだ!」。そして7コマ目、5・2が出てますね。またしても7でした。「また勝った! 7だ! どうだい?」「くそう、残念だ。あのサイコロ、いんちきなんじゃないのか。さあ次だ」。サイコロの不正を疑いつつも、まだやるつもりですね。破滅への道をひた走ります。

 

 「おれはおまえを破産させたくないんだよ」「気にするな、さあ、次こそ運命を左右するときだ。おれは全財産の500万を賭ける」。大勝負に出ました。

 

 「やるぜ、こんどは500万なんだな?」「サイコロを転がすんだ! 有り金ぜんぶ賭ける、また7ってことはないさ!」「来い! 7よ!」「あと100万賭けてもいいぜ、もう7はないよ! まだ帽子と、靴と、シャツもあるし、宝石もある! 妻ももってるんだ...」。証券取引所(stock exchange)というか、所持品をどんどんお金に変えていく場所のようですね。妻さえも換金される所持品みたいです。

 

 11コマ目、ついにゲームの終わりです。またしても7が出て、勝者が「やった! さあ、金を払うんだ」と無慈悲に相手に告げています。敗者は「なんてこった。キツいなこれは。たしかにおまえの勝ちだ、すっからかんになっちまった。お寒い状況ですよ、どうすりゃいいんだ...」と敗北宣言ですね。

 

 それにしても、建物から落とされる巨大なサイコロというのは、不思議な感覚ですね。登場人物は小さくて、まるでボードゲームの盤上を舞台にしているかのようです。マンガ全体を見渡してみると、サイコロが生き物みたいにころころと跳ねているみたいに見えるし、じつはこのマンガの主人公はサイコロ自体なのではと思えます。

レアビットと船に乗り込む男

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 1905年11月8日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 もう、一見して、どんな異常なことが起こっているのかわかりますね。異常事態のかれはなにをしゃべっているのかな。

 

 「ショーはとっても楽しかったですわ」「楽しんでいただけてよかった」という男女の挨拶からはじまります。男性は喜劇俳優か芸人かなんでしょう。

 

 ここからデートに発展するのかと思いきや、そういうわけではなく、男性は「すてきな女性だったなあ」といいつつその場を離れます。というのも「船が出るぞ! 乗らなくちゃ」とかれは急いでいるのですね。

 

 船はまさに出航するところで、男はあわてて飛び乗ります。「ギリギリまにあった!」。ところが船は、片足だけ船に乗せたこの男を無視していて、船と岸のあいだを詰めません。おかげで男は岸と船をつなぐ橋のようになったままです。

 

 「まにあってなかった、片足だけだ、くそ、船が...おーい!」。男は声をあげますが、船はどんどん岸を離れていきます。船の乗客たちも事態にまったく気づいていません。「船を止めてくれ! わたしも乗るから!」「ちょっとそこのひと! たのむから! 船長に知らせてくれ!」。

 

 船が進むにつれて、男の足はどんどんのびていきます。そのためかれが海に落ちることはないのですが、船に乗り込むこともできないままです。8コマ目では上半身が直立していて、むしろ安定感があるとさえ言えます。もしかしたらこういう芸をふだん披露しているのかもしれません。

 

 「これはひどい状況だな、あいつら耳が聞こえないのか...ねえ! ねえってば!」。男はだれにも助けられないまま、足をのばしつづけます。いつかは限界がくるのでしょうか。最後は「死んじまう! たすけて! だれか!」と叫んでます。

 

 この夢を見ていたのは女性でした。最初に登場した女性でしょうか。「ああ! ヘンリーの夢のこと、かれにはぜったい言えないわ!」と顔をおおっています。ヘンリーってだれだろう。彼女と親しいひとなら、夢のことを打ち明けてもいいと思いますけどね。親しくない、むしろ苦手なひとなら、たしかにぜったい言わないけど。

 

 ところで男性の黒いスーツは目立ちます。ほとんどのコマがものの輪郭線しか描いてないので、ベタ塗り部分には注目してしまいますね。男性の足がどんどん細くなっていくのもよくわかりますし、9コマ目の男の上半身がそのまま10コマ目の女性の頭にしゅっと収まっていくみたいに感じます。ものの意味とは関係なしに、色やかたちや大きさの視覚的類似という点だけでつながりを見出せるのがマンガのおもしろいところではないでしょうか。

リトル・ニモと電気を消すジャングル・インプ

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 1907年9月1日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモたちは王様との謁見をはたそうとしているところですが、ジャングル・インプにじゃまされてなかなか先へ進めません。そのことにようやく気づいたのか、屈強な従者がジャングル・インプに「おまえは出ていけ!」と告げています。ただ、フリップが「こいつが入れないんならおれも出ていくさ」と言ってますので、インプはこのまま同行するのでしょう。

 

 キャンディは「すてきな時間になると思うよ」と言って、ニモに期待をもたせています。が、ニモはキャンディのほうを見ず、すこしうつむいていて、浮かない表情ですね。

 

 屈強な従者は、インプをかばうフリップに対し「ならおまえも出ていけ!」と命じます。すると、最近ぜんぜんしゃべっていなかったニモは急に「かれがダメならボクもいかないよ」と従者に話しかけました。ニモはいつもは周囲に対して受け身の姿勢なのに、ときおり積極性を見せることがありますね。しかも多くの場合、積極性はフリップをかばうときに発揮されます。

 

 従者は「じゃあおまえもこいつらと出ていけ!」と、ニモにまで退出するよう言っていて、さすがにお姫さまが割って入ってきました。「ダメよ! 電気をつけてちょうだい、みんなで行きますから」。なるほど、いまは電気がついていないのね。だから背景に色がなかったのか。

 

 キャラクターたちには色がついていますが、かれら自身にはこの色があまり見えていないのかもしれません。薄暗くて。読者には見せてくれています。

 

 従者はコマのいちばん右に移動し、「電気(electric light)」と書かれたつまみに手をかけます。明るくするのですね。どうやらみんな王様のもとへ行けることになったようです。「まったく、あのゴリラにしたがってたら、だれも中に入れねえとこだったぜ」「さあ、モルフェウス王のところへまいりましょう」「そうね、わたしとてもうれしいわ!」。

 

 5コマ目、室内が明るくなると、王様が見えました。ニモたちのいたところのそばに、上にのびる階段があって、その上に玉座があり、王様が足をのばしてすわっています。天井には大きなシャンデリアがつるされてます。...これ、地震とかあったら、天井からシャンデリアが落ちて王様にあたるとか、あるいは「階段落ち」とか、ともかくあまり安全でなさそうな場所ですね。こんなところで王様はくつろげるのか。たいした胆力だ。

 

 下々の者たちは、「この階段のぼらなきゃいけないのかよ」「そう機嫌悪くしないで、フリップ」「王はまだこちらに気づいていらっしゃらない」とかしゃべってます。たしかに王様は下を見ておらず、お付きの者となにか話をしてるのかな。

 

 でも6コマ目では、王様も下々の者たちも、まっすぐのびる階段に沿って、視線を上下に飛ばして挨拶しています。「やあ、こどもたちよ!」「よお! 調子はどうだい? ちょっと下りてこいよ」「陛下、ごきげんよう」「パパ! やっと会えたわね!」。

 

 ただひとり、ジャングル・インプだけは、王様よりも電気のスイッチのほうに気をとられています。かれが立つ場所からは王様が見えず、また王様もインプが見えない。だれからなにが見えるか/見えないか(だれがなにを知っているか/知らないか)を、読者が一コマ見てすぐにわかるようになっています。舞台的な演出なんでしょうかね、こういうのは。

 

 インプがスイッチにさわってしまったことにより、あたりは真っ暗になりました。「こんどはインプがなにしたの?」「やつめ電気を消しおったな!」。真っ暗とはいえ、読者にはかれらの姿がある程度見えています。画面中央で驚くニモと、「やべえ」という表情のインプがともにこちらを向いていて、喜劇的です。

 

 姿の一部だけは見えていて、あとはべた塗りっていうこのマンガ表現は、いつからあるのでしょうね。このコマでは、キャラクターのからだの一部がべた塗りされて真っ黒な背景に溶け込んでいる表現のおもしろさを示すために、各キャラクターのからだが本来どこにあるかも示されています。つまりキャラクターが平面上にならべられている。

 

 一方で、お姫さまの姿はドレスまで描かれほぼ完全に見えていて、ドクター・ピルがドレスの奥にいることができる、つまり、ここが三次元空間である(手前と奥がある)ことの表現をマッケイは忘れていません。べた塗りのおもしろさと物語世界の連続性がともにあらわれているコマですね。

リトル・ニモと号泣するジャングル・インプ

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 1907年8月25日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモたちが階段を上がっています。フリップが「ここはなんていうんだ?」と聞くと、キャンディが「喫煙の間だよ。静寂の寺院ともいうよ」と答えています。先頭を歩くのはドクター・ピルで、「王様のところにいこう、われわれをお待ちだ」とみんなを率いています。

 

 いちばんうしろはジャングル・インプですね。かれはこれまでいろいろといたずらしてるわけですが、にもかかわらず、だれも自らの視界にはいるところにジャングル・インプを配置していません。

 

 2コマ目、執事っぽいひとが登場です。「モルフェウス王は静かに喫煙を楽しんでおられる」とのことで、立てた人差し指を口にあてて、静かにするようニモたちに伝えています。ドクター・ピルも「ならば王のじゃまをしてはいかんな」と、歩みをとめます。ここで待機ですね。

 

 でも、静かにするよういわれてもそうはしないのがフリップであり、またジャングル・インプです。フリップは反抗的に「じゃまをしてはいかんだと? 中に入っておれらが来たと伝えようぜ」といって執事たちを困らせます。「王がわれわれに気づくまでは、音をたてちゃいかん」「息も止めてください」。

 

 ジャングル・インプのほうは、フリップがもってるステッキに注目しています。いたずらするつもりでしょう。まわりの話を聞かず、まわりに反対することもせず、ただやりたいことをすぐにやってしまうというのは、フリップよりも対応が難しいですね。

 

 フリップはなおも「中に入ればおれらに気づくんだからいいじゃねえか!」と抗弁します。執事は「ダメダメ! 王様がお休みのときに音をたててはダメなんです!」とあわてて反論です。ジャングル・インプは、フリップの全体重を支えているステッキを見ながら、片足をあげてます。

 

 すると5コマ目、インプはステッキを蹴り上げ、フリップを転倒させてしまいました。執事は「しーっ! しぃーっ! し、しずかにしてくれ!!」とさらにあわてています。ドクター・ピルも「だれだ? しーっ!」と怒ってます。

 

 もちろん怒っているのは執事とドクター・ピルだけではありませんで、フリップがすかさずステッキを手に持ち、ジャングル・インプめがけて振りおろそうとします。執事は「しずかに! しぃぃーっ!」とかけよりますが、激怒のフリップは無言でインプの頭を打ち、インプは驚きの表情です。

 

 「やめろ! やめて! しぃーっ!」と、執事はもう叫んでるようですね。静かにしなくちゃいけないといっていた執事が静かにしてません。それとも、じっさいにはそれほど大声でもないのかな。大声の気持ちというだけかもしれない。

 

 いまのマンガだったら、大きな字で大声を表したり、あるいはふきだしの線を破線にするとかして「大声を出したい気持ちだけど小声」を表したりすると思うんですけど、「リトル・ニモ」の時代のマンガはさすがにそこまで表現が細かくないですね。

 

 フリップの「しつけ」を見て、ドクター・ピルは「わたしの薬ケースはどこだ?」ときびすを返しています。8コマ目ではジャングル・インプが「うおぅうおぅ」と叫んでいて、となりでキャンディが「泣かないで」となぐさめています。インプがふきだしを使うのははじめてかな。ドクターは「アルニカはどこだったかな」と炎症薬をさがしています。

 

 この間、お姫さまはずっと進行方向にからだをむけたままです。視線はうしろのフリップたちにむけていますが、からだは前をむいてます。他のキャラクターたちはみんなフリップやジャングル・インプのほうにかかずらってしまいますが、このお姫さまのからだの向き、またお姫さまの「いつになったらパパに会えるのかしら」というセリフがあるので、騒ぎの「足止め」感がありますね。と同時にお姫さまのクールな性格がわかります。

 

 ジャングル・インプはここで、キャンディやドクター・ピルにも自らの存在をはっきりわからせることができました。お姫さまはまだ認めていないかもしれませんが、インプは今後、ニモたちの仲間と認識されるんじゃないでしょうか。前回インプは周囲にほとんど無視されていましたので、よかったよかった。

レアビットと23スキドゥ

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 1905年11月4日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。ちょうど111年前。

 

 ふたりの男性が立ち話です。「ああ、選挙じゃ賭けに負けたさ。忘れてくれりゃよかったのに」「忘れるもんかよ、おまえには責任をはたしてもらうぜ。ついてきな、化粧するから」。選挙とは市長選のことでしょう。だれが勝つかで、賭けが行われていたんですね。

 

 2コマ目、賭けに負けた男はさっそく風変わりな格好です。「なんだよこの化粧は。なにをさせようっていうんだい」「まあまあ、すぐ終わるから。もちろん賭けに負けた責任をとってもらうのさ、あれだけ自信たっぷりに勝つって言ってたんだからな」。この格好は、サーカスにでも登場しそうな、おめかししたサルですかね。

 

 ふたりは往来を歩きます。「さあ、フラットアイアンビルだ」と言う男は、賭けに勝ったほうですね。手回しオルガンを背負っています。そのそばを歩くのが賭けに負けたサルです。「なあ、やめようぜこれ。べつの方法で責任とるからさ、な、やめよう」とすでに逃げ腰ですが、わざわざサルっぽく歩いてますね、感心です。ふたりの姿は当時の典型的なストリートオルガン奏者でした(イエロー・キッドとカナル・グランデ - いたずらフィガロ)。

 

 オルガン奏者はサルをつれてフラットアイアンビルまでやってきて、サルにビルをのぼらせます。「さあ、のぼれ!」。どうやらこれが責任のとり方のようです。サルは従順にのぼりはじめます。周囲では「サルなの? ひと?」とか「あのサルすげえな」とかいう声が聞かれます。オルガン奏者は「そのままのぼるんだ! 気合い入れていけ!」と容赦ないですね。

 

 6コマ目、すでにとなりのビルの屋上付近までやってきたサルは「疲れたよ、下りるぞ」と言いますが、オルガン奏者は許しません。「のぼれ! おまえ、負けたらフラットアイアンビルの最上階までのぼって1ペニーとってくるって言ったんだからな」。なんで賭けでそんなこと言っちゃうかな...。ちなみにフラットアイアンビルは高さ87メートル、22階建てだそうです(Flatiron Building - Wikipedia)。

 

 サルはがんばってのぼりつづけ、ついに最上階にたどりつきます。地上からは「1ペニーもってこいよ、そうすりゃOKだ」というオルガン奏者の声。数十メートル下のはずですがはっきり聞こえてますね。

 

 サルは窓から中をのぞき込み、「1ペニーいただけませんか? 賭けに負けたもので」と、室内のひとに声をかけます。

 

 するとおばさんがほうきをもって身を乗り出しました。「1ペニーだと? サルめ、こっから出ていけ!(Skiddoo!) 厚かましいやつだまったく!」。サルはあわてて「サルじゃないんです、ひとです! 賭けに負けたんです!」と窓辺から離れました。いやもうすごい技術ですね。地上では「1ペニーとってこなけりゃおまえの負けだぞ!」と言ってます。ここでさらに負けたら、またなにかべつのことを、たぶんもっとひどいことをやらされるでしょう。

 

 ほうきをもったおばさんは「Skiddoo」と言ってサルを追い払うんですが、フラットアイアンビル周辺には「23スキドゥ」と呼ばれる連中がいました。このビルが立つ23番通りは風が強く、女性のスカートがめくれて足首があらわになり、それをのぞき見て楽しむ男どもが発生してたのですね。このどうしようもないやつらが「23スキドゥ」です(23 skidoo (phrase) - Wikipedia:ことばの由来には諸説あり)。警官がよく追い払っていたようで、そういえば3コマ目に警官がいます。

 

 10コマ目のおばさんは「こっち来んな!」と、サルをほうきで叩きつけようとします。まったく話が通じてないですね、警官より怖いかもしれない。サルはあきらめ、「ダメだ、飛び下りよう」とつぶやいています。心なしか、目の焦点が合っていないような...。

 

 「もうつかまってられないよ」と身を投げたサルは、気づいたらベッドから落ちているひとでした。自ら死を選ぶことでようやく曲芸と暴力の恐怖から解放されるというのは、ほんと悪夢ですね。

レアビットとツイスターさん(一周年)

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 1906年10月13日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 このまえ紹介したチャールズ・マーフィー図像(レアビットと1905年ニューヨーク市長選 - いたずらフィガロ)ですね。冒頭から登場で、となりの女性と会話をしています。「わたしはあなたの妻ですから、あなたの着るものに気をつかわないなんてことはありませんわ。あなたにはいちばんすてきな服を着ていただきたいの」「好きにしていいよ、冬物のスーツを選んでくれ」。

 

 ふたりはさっそく仕立て屋に来ました。「ここは流行りの仕立て屋なのかい?」「そうよ! 最新の服が手に入るわ。きっと気に入るわよ、さあ、なかへ入りましょう!」。

 

 店員は早くも、例の囚人服をもってきました。ただ、だれも囚人服だとは思ってなくて、「ちょっと派手すぎやしないか」「でもみんなこれ来てるわよ」「これは今シーズンとても人気があります」というやりとりのあと、男性は購入を決めたらしく寸法をとっています。

 

 ひとりの店員の「96の98、あと尻ポケット」という声を、べつの店員が「96の98、あと尻ポケット」と復唱するとともに、「こりゃすごい! 漫画みたいになるぞ(He'll look like a cartoon I've seen)」と驚いていますね。漫画みたい、というのはもちろんチャールズ・マーフィーのことでしょう。

 

 夫婦はひとまず帰ります。「あの服はわたしが好きなデザインだったから、うれしいわ。仮縫いはいつなの?」「木曜の2時だ。あれが流行っているとは、みな頭がおかしいんじゃないか」。妻は満足げですが、夫はまだ理解できていないようですね。

 

 仮縫いの日はすぐにやってきました。「肩のあたりは窮屈じゃないですか? わたしからは完璧のように見えますが」「大丈夫だよ」。うまくつくれそうですね。で、夫が帰宅すると、妻が「わたしもおなじデザインのドレスを買うつもりよ、サミーの分もね」と話しています。家族全員の囚人服を用意するみたいです。

 

 夫は「政治家がこの流行をつくりだしたのなら、もうアダムに帰るときが来たな」とつぶやきます。政治家は罪を罪とも思っていない、堕落ここに極まれり、という意味かな。

 

 さあ、スーツが家に届けられたようです。「まあ! すてきね! 着てみてちょうだい、はやく!」「気に入ってくれるといいけどね。でもわたしは好きになれないが」。そして9コマ目、ついに風刺画のチャールズ・マーフィーの姿があらわれました。この図像は紙面の真ん中にあり、新聞読者の注意をこのマンガにひきよせるためのよいポイントになっています。

 

 妻は「ああ、なんてすばらしいの!」と興奮してます。夫は「変だと思うけどね! きみが好きならかまわんが」と無愛想です。こどもは「気をつけてねパパ」といってるんですが、これは、さすがに危ないファッションだよ、ということなのか。

 

 妻は感極まって夫に抱きつきました。「大好きよ! 愛してるわ! わたしとサミーの分も届けてもらわなくちゃ!」。夫はニコリともせず「インディアンにでもなった気分だよ」。わけもわからぬまま、自らを異なる文化に合わせざるをえない気持ちを吐露しているのでしょうか。夫はつづけて「気をつけよう! ほんのちょっとで...」と、謎のことばを言いかけています。なんだこれは。

 

 その後、妻が電話で「6時に届けるっていってたはずなのに、4時半になってもまだ来ないわ。そうよ! こどもの分もあるわよ! すぐにもってきてちょうだい!」と業者を急かします。まだ6時じゃないなら業者はべつに悪くないわけですが、奥さんは待ちきれないんでしょうね。そして12コマ目、家族全員がストライプの服に身をつつみました。

 

 夫のことばは「これは今年いちばんのたいへんな日になったな(It's a pretty day for this time of year)」というものです。pretty「たいへんな」はもちろん「とんでもない、ひどい」という皮肉の意味で使われているわけですが、妻は「すてきな」という意味でかってに解釈してくれて、「そうね、ほんとね!」と会話が通じています。

 

 三人がまずどこへむかったかというと、よりにもよって教会です。「結婚式以来じゃない?」「ああ、そうだったな」と、三人はなかへ入ります。すると、教会のなかには囚人服を着た人でいっぱいで、この家族がぜんぜん浮いていない。

 

 牧師でしょうか、ひとりの男性が壇上でしゃべっています。「こんなにたくさんお集まりいただきありがとうございます」。これから説教をはじめるんでしょう。画面手前の奥さんが「みんなストライプ着てるじゃない...なんなのよもう」と不満をつのらせるなか、牧師はこう言います、「それでは本日の聖書のことばです。気をつけろ!!! チャプスイからシンシン刑務所までほんのちょっとだぞ!(Look out!!! Tis but a step from Chop Sueys to Sing Sing!)」。

 

 これは、タッド・ドーガンの風刺画が念頭に置かれています(https://archive.org/stream/currentliteratur41newyrich#page/476/mode/2up)。風刺画にはキャプションがついており、そこには「気をつけろ、マーフィー! デルモニコスからシンシン刑務所までほんのちょっとだぞ(Look out, Murphy! It's a short lockstep from Delmonico's to Sing Sing)」と書かれているのです。デルモニコスとはマーフィーお気に入りのレストランの名前です。選挙の裏取引の場所というイメージが人々のなかにあったのではないでしょうか。

 

 「レアビット」では、デルモニコスのかわりにチャプスイ(中華料理名)になってますが、タッド・ドーガンのキャプションを受け継いでいることは明白です。そうか、さっきこどもが「気をつけてねパパ」と言ってたのも、パパが「気をつけよう!」と言ってたのも、すべてこのキャプションのことだったわけですね。

 

 牧師はこの家族に近づき、「ご機嫌いかがですか、ツイスターさん(Mr. Twister)」と挨拶してます。ツイスターさんというんですね、心の曲がった不正直者、というわけです。

 

 教会を後にしたツイスターさん一家は、往来でもストライプ柄の服のひとたちに出会います。「あれ、うちの使用人じゃないか? 肉屋といっしょだ」「そうね、わたし嫌になったわ! みんながもってない新しい服がほしいのに」。みんな罪深いんですかね。

 

 人気の風刺画をモチーフとしてマンガを描くというのは、なかなかおもしろいですね。いまではあまり考えられないことです。「人気の風刺画」というものがそもそもないし、仮にあったとしてそれをマンガに描くのって法的に大丈夫なの? という気もする。

 

 マッケイはタッド・ドーガンの承諾を得ていたんだろうか。おたがい近い場所で働いていたから、一言ことわっていたというのはありえますが、漫画家どうしがOKでも新聞社がどう思うか。まあ、マーフィー図像が流行ることは、もともとの風刺画が掲載されたハーストの新聞にとってもけっして悪いことではないけれど。

 

 それに、イエロー・キッドがあちこちにさんざん描かれたのにだれもお咎めを受けなかった点から、この当時、キャラクターの著作権というものがほとんど考慮されていなかったのでは、と考えることができます。

 

 最後のコマ、ツイスターさんはまだ寝てますね。それを妻子が見守りながら会話しています。「パパを起こしちゃダメよ、レアビット食べたら眠くなっちゃったんだわ。あっちへ行きましょう」「パパはレアビットの夢を見てるの?」。起こさないんだ...。夢からさめた人が夢を振り返るんじゃなくて、起きてる人が眠っている人の夢を想像するという結末は珍しいです。