いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと1905年ニューヨーク市長選

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 1905年11月1日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 電車のなかでしょうか、男性がすわって新聞を読んでいると、むかって右隣にすわる男性が「だれが当選するかね」としゃべりだしました。選挙が行われているんですね。

 

 むかって左隣の空いているスペースに、2コマ目で別の男性が腰を下ろします。真ん中で新聞を読む男は、左右の乗客には目もくれませんが、右の男はつづけて「あんたはだれに投票するんだい?」と話しかけています。

 

 すると左の男がそれに呼応します。「おれかい? チャーリー・マーフィーさ」。右の男はそれに対し「ならジョー・マクレランに投票するわけだな」と返しています。

 

 チャールズ・マーフィー(Charles Murphy)とは、民主党の政治組織タマニー・ホールで当時ボスだったひとです(Charles Francis Murphy - Wikipedia)。ジョージ・マクレラン(George McClellan)もタマニー・ホールの所属で、マーフィーを後ろ盾として1903年のニューヨーク市長選に勝利しています(George B. McClellan Jr. - Wikipedia)。

 

 今回のエピソードが掲載された1905年11月もまさにニューヨーク市長選をひかえていた時期で、マクレラン市長は再び立候補したのですが、マクレラン市長に対抗する立候補者のなかには、なんと『ニューヨーク・ジャーナル』のハーストがいました(https://en.wikipedia.org/wiki/New_York_City_mayoral_elections#1897_to_1913)。タマニー・ホール所属の現職か、新聞王ハーストか、あるいは共和党の立候補者か。ニューヨーク市民のあいだで、市長選挙は(あたりまえですが)大きな関心事となっていたわけです。

 

 とりわけおもしろいのは、マーフィーとハーストがもともと盟友だということです。だから人々は、マーフィーはタマニー・ホールのマクレランを応援するのか、それとも友人ハーストを応援するのか、注目していたのですね。結局マーフィーはマクレランを支持し、ハーストと決別します。

 

 マンガにもどりましょう。左の男は「だれに投票しなくてもいいだろ。おれの好きにするさ」といっていて、もしかしたら投票するつもりがないのかもしれませんね。マーフィーは支持するがマクラレンには入れない、ということかな。右の男は「あいつはタマニーのやつだろう?」とふしぎそうにしてますが、まあ、おなじ派閥ならだれでもいいというわけではないよね。

 

 左右の男たちは声を荒げはじめました。「そうさ! だからやつには投票するよ」「それはだからマクレランのことだろ?」「いや、ちがう、マーフィーだ」「なんでだよ! マーフィーには投票できないだろ」「おれはアメリカ人だ、投票する権利が...」「けどマーフィーにはできないんだよ」「なんでだ! おれに投票権がないってのか?」「ちょっとおちつけよあんた」「投票権がないって言いたいんだろ?」「いや投票権はあるけどさ...」。

 

 中央の男はもみくちゃにされています。めんどくさいことに巻き込まれて災難ですね。

 

 ちなみに、この選挙は現職のマクレランが勝利し、ハーストは僅差で破れました。マクレランの勝利の陰にはマーフィーによる選挙違反があったとされ、投票日の直後にはマーフィーが囚人服を着ている風刺画が新聞に掲載されています(https://archive.org/stream/currentliteratur41newyrich#page/476/mode/2up)。こんなやつです。

 

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 タッド・ドーガン(Tad Dorgan)の風刺画です。で、「おれこいつ見たことあるぞ...」と思って「レアビット狂の夢」をさがしたら、やっぱりいました。

 

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  これは1906年10月13日の「レアビット狂の夢」です。一年近くもこのキャラもってるのか。かなり人気の図像だったんですね。こっちのエピソードについてはいずれやりたいと思います。

レアビットとジャストウェッドさん

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 1905年10月28日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 若い女性が室内にいます。ゆったりと座っているようですが、「だれか玄関にいるわ。今日はだれにも訪ねてほしくないんだけれど...あっ、呼び鈴が! だれかしら...」と、そわそわしていますね。

 

  次のコマ、眼鏡をかけたご夫人が「ジャストウェッドさん(Mrs. Justwed)はいらっしゃる? ラバー(Mrs. Rubber)が来たと伝えてくれるかしら」と、黒人メイドに話しています。メイドは「確かめてきますので少々お待ちください」と返事します。

 

 「ラバー様です、いかがいたしましょうか」とメイドにいわれたジャストウェッドさんは、「ドライブに出かけていないと伝えてちょうだい。ラバーさんには会いたくないの」と、居留守をつかうみたいです。どうして会いたくないんでしょうね。読み進めていったらわかるかな。

 

 「あら、いないの? お宅を拝見したかったのよ。ちょっとおじゃまするわね」。ラバーさんは家のなかに入るつもりですね。メイドは「奥様がいつお戻りになるかはわかりません」といって、やんわり帰ってもらおうとしますが、次の5コマ目で「隠れたほうがいいです! ラバーさんがこちらに来ます」と部屋に戻ってきました。ラバーさんを玄関で止められなかったんだな。

 

 ジャストウェッドさんは「なんですって! それならここに隠れているわ。なんとか帰ってもらってちょうだい。ラバーさんが帰るまで、わたしはここにいるわ、アイリーン」と、カーテンでしょうか、布のうしろに身をひそめます。

 

 6コマ目、ラバーさんが部屋に入ってきました。アイリーンは「お気の毒ですが、奥様はだいぶ遠出いたしました」とラバーさんにいうのですが、ラバーさんは「大丈夫よ。すてきなお家じゃないの? まあ、すごく居心地がいいわ、こざっぱりしてて。ジャストウェッドさんはお幸せそうね」と、あまり聞いていません。

 

 ラバーさんはいすに座り、本腰を入れてくつろぎはじめました。「ジャストウェッドさん、あの男のひとをつかまえられて、なんて幸運なのかしら。ここは本当に落ちつくわね。彼女が帰ってくるまで待ってましょう、きっと驚くわね」。持久戦のはじまりですね。カーテンのうしろにいるジャストウェッドさんはなにを思っていることか。

 

 あ、ちなみに、ジャストウェッドという名前はジャスト・ウェディング、つまり「ちょうど結婚したばかり」という意味ですね。ラバーさんは新婚さんの様子をうかがいに来たわけです。下世話なゴムおばちゃん。

 

 メイドのアイリーンは奥様のためにがんばります。「ラバー様、奥様がいらっしゃるときに、また来ていただけますと...」。しかしラバーさんは「いいえ、ここで待ってるわ。ジャストウェッドさんだって、わたしに会えればうれしいはずよ」とめんどくさいことをいいます。長居しそうです。

 

 で、9コマ目、「帰ってこないわね。三、四年たってるわよこれ。もう少し待って、もどってこなかったら帰りましょう」と、だいぶ長居しました。1〜8コマ目のあいだは時間が10分程度しかたっていないと思うので、8コマ目とほぼおなじ構図の9コマ目で急に「三、四年」とかいわれると驚きます。

 

 10コマ目、アイリーンがやってきました。すこし太った? アイリーンは「奥様はぜったいに戻ってきませんよ。お疲れでしょう」と、いまだ秘密を明かしていません。しかしラバーさんも「大丈夫よ、もう少しいるわ。それにしても長いわね。あら、12年たってるの」と、まだまだ居続けるつもりです。

 

 で、ラバーさんはあいかわらず「早く来てくれないかしら」と待ちつづけます。顔は泥のようにくずれていきます。12コマ目ではアイリーンが「またお越しくださいな。奥様がいなくなって28年になりますよ」といってますね。こちらもだいぶ年をとりまして、老眼鏡をかけてます。ふたりはもう長年連れ添っているし、りっぱな家族なんじゃないか。

 

 ラバーさんは「あと15年待っても来なかったら、おいとますることにするわ」というのですが、見たところだいぶご高齢ですので、はたして15年も待てるのかどうか...。

 

 そしてついに、13コマ目、「帰ったほうがよさそうね。あと45年は戻らないと思うわ」とラバーさん。帰ろうとしているということは、12コマ目から15年たったということでしょうか。よぼよぼですね。そしてアイリーンもすっかりおばあちゃんになりました。「まあ、お帰りですか? 奥様がいらっしゃらなくて、本当にすみません...」「いいのよ、彼女に伝えてちょうだい、65年も待ったわって。すごく会いたかったのよ(I'm dying to see her)」。この場合は「彼女に会うために死にかかっていたわ」の訳が適切でしょうか。

 

 しかしながら、死にかかっていたのはラバーさんだけではありません。この65年、ずっとカーテンのうしろにいたジャストウェッドさんが、15コマ目でようやく姿をあらわしました。すでに「ジャストウェッド」ではないわけですが(というか夫はどうしてたんだ)。

 

 彼女はすっかり老いぼれてしまいました。頬はこけ、髪も薄くなり、若かりしころの面影はありません。老いは怖いですね。カーテンのなかにはクモの巣がはってあり、家屋も傷んでいるのでしょう。

 

 アイリーンは「お帰りになりましたよ、たいへんでした、ちっとも動かなくなるものですから...」と数十年ぶりに真の主人に再会できました。ジャストウェッドさんは「よかったわ、帰ったのね、いいひとなんだけど、けっこううんざりするのよ。いま何時かしら?」といっています。もしかしたら時間の感覚がまともではないかもしれない。

 

 結局これは、近所のおばさんに生活のことでいろいろ詮索されるのを恐れる新婚女性の話、ということかな。老いよりもゴシップを恐れていて、あらぬうわさ話を流されるくらいなら死んだほうがましだということなんでしょう。

リトル・ニモとネックレス

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 1907年8月4日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 横長のコマが縦に六つかさなった構成です。透視図法の空間のなかで、登場人物たちが横にならび、読者は視線を左右に流しながら、すこしずつ下に降りていくことになります。

 

 ニモたちは船から降りて、これからモルフェウス王のいるサマー・パレスにいくところです。真ん中のフリップが「これは海賊から奪ってきた宝石さ」とリトル・キャンディに説明しています。そういえばそんなことありました。リトル・キャンディは「じゃあそれもって急ごう、遅くなってしまうよフリップ」と、海賊の話には興味がなく、それより遅刻をおそれていますね。

 

 でも、まあ、今回も先には進めない。おなじ場面が六つかさなってる紙面ですので。2コマ目の左端で、軍艦にのる海兵たちが「ニモとお姫さまはかわいかったけど、あのふたりときたら...」といっていて、フリップとジャングル・インプが厄介の種であったと嘆息してます。このセリフは読者に対し、フリップとジャングル・インプをどういう目で見るべきかをあらためて示してくれています。

 

 ジャングル・インプは箱のなかから宝石をとりだしています。ネックレスのような、長くつながれた宝石ですね。フリップは「おいおいおい! ネックレスから手を離せよ! 聞いてんのか?」と怒ってます。

 

 しかし、ニモたちにはそれが見えていません。「宮殿にいかなくちゃ」「でもフリップが遅いのよ、もう行きましょう」「あのジャングル・インプがたくらんでることを確かめようよ」と会話していて、かろうじてニモが、悪いのはフリップよりむしろジャングル・インプだと気づいているようですが、いままさに行われようとしている悪事についてはわかっていない。

 

 画面右端に立つサマー・パレスの家来たちも、こどもたちの状況をまるで把握していません。こどもたちに対して背をむけているし、顔がフレームの外に出ています。

 

 ジャングル・インプはものすごく長いネックレスをもったまま、あたりを走りまわり、ネックレスが円を描きはじめています。ネックレスの一部が家来の足首に引っかかっていますが、かれはそのことにも気づいてないのかな。キャンディも「美しい宝石だね、ダイヤモンド、エメラルド、ルビー、すごいな!」と宝物に目を奪われています。

 

 フリップだけがあわてていて、ジャングル・インプを追いかけます。「あのインプにはちゃんと指導しなくちゃな!」。

 

 ネックレスは家来たちの足をすくってかれらを転倒させ、そのままニモを画面の真ん中に引きよせます。ネックレスの円はまもなく閉じられようとしていますね。フリップは「後悔することになるぞてめえ!」となおも追いかけますが、走る場所が悪く、ネックレスの円の内側に入ってしまっています。お姫さまは「あのふたりは置いていきましょうよ!」と大声を上げますが、やはり逃げられない場所にいるままです。

 

 そんなわけで5コマ目、ニモたちはネックレスにからめとられてしまいました。キャンディは「あんないたずら小僧、どこで見つけてきたんだよもう!」と困惑し、フリップは「後悔するぞこのやろう」とおなじセリフをくり返しています。

 

 家来たちもようやく本腰を入れるつもりのようです。「本気でいかないとつかまえられないぞ」「そうだな、あのインプをひっとらえるぞ」。

 

 大人たちが本気を出したおかげで、インプはあっさりつかまえられました。フリップは「つかまえるだけだぞ! 傷つけてはダメだ! おれがいくまで待ってろ!」とネックレスのなかでもがきます。

 

 キャンディが「どこからつれてきたの?」というのに対し、お姫さまが「フリップがジャングルからつれてきたのよ! ああもう!」とイライラが頂点に達してる感じですね。顔の表情はそれほどくずれていませんが。

 

 ジャングル・インプは、こんな感じで毎回いたずらをするんだろうか。さすがにこればっかりだと飽きるな。ですが軍艦はすでに遠くまでいってしまってますので、一行はジャングル・インプをつれていくしかないですね。

 

 もちろん、たとえば次回エピソードの冒頭で「ジャングル・インプは海兵たちがつれて帰りました」「やれやれ、ほっとしたわ」みたいなやりとりを描いて、インプを物語世界からあっさり退場させることもできるかもしれません(まえにもそんなキャラがいたような気がするし)。はたしてジャングル・インプはどうなってしまうのか。

リトル・ニモと教育係フリップ

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 1907年7月28日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 やや俯瞰的な構図ですね。1コマ目、中央にジャングル・インプ、フリップ、船長、お姫さま、ニモがいて、画面左に海兵たちが、右にはサマー・パレスのひとたちが立っています。

 

 フリップはジャングル・インプに「紳士だ! 紳士になるんだぞ! わかったか?」と諭しています。前回フリップはジャングル・インプにいたずらをされて怒ってました。いまはどうやら落ちつきを取り戻し、今回はうまくやれよと教えているわけです。フリップが教育係という設定がすでに笑いを準備していると思います。

 

 船長は「それでは失礼します」とお姫さまに頭を下げ、お姫さまも「ニモもわたしも助かりました」と礼を述べています。

 

 次のコマでは不遜なフリップさえも「じゃあな船長! あとで勲章を贈るからよ」といいながら頭を下げてます。フリップはジャングル・インプの教育係ですので、こうやって紳士のふるまいを教えてやっているんですね。

 

 ところがジャングル・インプは、おじぎをするフリップのうしろに近づき、3コマ目でフリップのおしりをけとばします。うしろでお姫さまの「早く行かないと、パパが待ってるわ」という声がするなか、フリップはおじぎの格好のまま、海へ落下します。

 

 1コマ目は紙面の端から端まである横長のもので、場面の全景を説明していますが、二段目は、船長、フリップ、ジャングル・インプの三人に的をしぼった二コマです。3コマ目で船が岸から遠ざかっているのがわかり、視線が横に流れますね。

 

 三段目になるとコマが三つになり、コマのなかで視線を動かすスペースが狭まり、よけいにフリップに注目させられます。といってもフリップは5コマ目から水のなかにいて見えませんが。船長は「おい! フックをもってこい! 急げ!」と海兵たちに声をかけ、ジャングル・インプのうしろからは、お姫さまでしょうか、「どうして遅れてるの? もう!」という声が聞こえます。

 

 「このへんにいるはずだ」という船長の声をもとに、海兵たちがフックのついた棒で海のなかを探ります。お姫さまは、岸の端に追いつめられたジャングル・インプに対して「こんな急いでるときにあなた何やってるのよ?」とお怒りですね。さすがのジャングル・インプも「やっべえ」といった面持ち。

 

 「とにかく泡の出てるところだ」「よし! とらえたぞ!」という海兵たちの声のなか、みなが水面を見つめています。ニモもたぶん地面にひざをついて海をのぞきこんでいますね。お姫さまはジャングル・インプといっしょにいたくないようで、「フリップは、このいたずらっ子をつれていっしょにくるべきじゃないわよ」といってます。なんでこうも面倒が起こるのよ! というお姫さまの気持ちはよくわかる。

 

 8コマ目、フリップは無事に助け出されました。船長はさっそく「あの子はわたしたちがジャングルへつれて帰ります」というのですが、フリップはどうしたわけか「いや! ダメだ! オレがあいつをつれていく。しつけはオレにまかせてくれ!」と、ジャングル・インプの教育係を続行するつもりです。なぜなんだ。トラブルメーカーがいてくれるのは物語的にはおもしろいですが。

 

 お姫さまはイライラしつつ「さあ、宮殿へ行くわよ」と歩きはじめています。その先にはひさびさのリトル・キャンディ(だっけ? 名前忘れた)がいますね。「フリップもいっしょにジャングルへ行けばいいのに」と厳しい意見です。

 

 ニモは、救助されたフリップのからだを支えていますが、夢からさめると自分の枕を持っていました。ベッドから落ちたんですね。ママは「ベッドにもどりなさい!」とイライラしていて、ここにも夢との連続性があります。

レアビットと白いスパッツ

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 1905年10月25日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「あら、だれかしら。わかったわ、ラルフね、そうでしょう? わたしのかわいい息子のラルフよ」「そう、ボクだよ。ねえママ、ボクに約束してほしいことがあるんだ。 それをおねがいしたら、いいわよって言ってくれるかい?」

 

 「あら、キスのことね。いいわよ、約束するわ。好きなだけキスしてあげるから」「そうだねママ、でもね、ほかにもあるんだ。白いスパッツを買うお金がほしいんだよ」

 

 「白のスパッツですって! ダメよ、ちょっと待って、そんな物ほしくないはずよ」「冗談でしょうママ、本気なの?」

 

 「冗談じゃないわよ、だって白いスパッツだなんて年寄りくさいじゃないの。あなたはまだそんな...」「ああ、かあさん! まさか本気なのかい。ママはそんな残酷なこといわないはずだよ」

 

 「わたしは残酷なことなんかしたくないわ、ラルフ、けどね、よくお考えなさいな。あなたは...」「そんな! かあさん! ひどいショックだよ」

 

 「そんなふうにいわれるとわたしも傷つくわ。いったいどうしたのよ...」「ああ、ボクの心はもうあのスパッツに釘付けなんだ、ママがボクのいうこと聞いてくれないなんて」

 

 「信じられないよ! ママ〜、ふええ〜!」「泣くのはおよし、ラルフ! あなたのママがどんなにつらいか、ねえ、泣かないで」

 

 「ふぐうう、マムァ、マ、マム、ふええ〜」「ラルフ! かあさんを悲しませないでちょうだい! わたしはあなたのことをだれよりも大事に思ってるのよ、ねえラルフ!」

 

 「マ、マムァのせいで、ふぐうう、もうつらいよ、ママ〜、ふええ〜!」「あなたのいうことならママはなんでも聞き入れてきたわ...ああ、ラルフ! そんな、わたしはいつだって...おねがいだから泣くのをやめてちょうだい、ラルフ!」

 

 ...いやあ、すごいですね。なんなんだこの話は。白のスパッツをめぐって、仲のいい母と息子が悲しい状況におちいってしまったわけですが、そんな、そんな力が白いスパッツにあるとは。

 

 ママが「年寄りくさい」っていってることから察するに、白のスパッツっていうのはズボン下・ステテコ的なやつかな...と思ったら、どうやらステテコじゃなくて、靴をおおうアクセサリーに「スパッツ」というのがあるんですね、知らなかった(Spats (footwear) - Wikipedia)。19世紀後半から20世紀初頭にかけて、主に男性が着用していたもので、各国軍隊の制服の一部になっているみたいです。今回の「レアビット」が掲載された頃には、そろそろ時代遅れのものとなりつつあったのかも。

 

 でもそんなことより、いちばん驚くのは、マッケイはよくこれで話をひとつ作ろうと思ったな、ということですね。たしかに、いい大人がこどものように泣きじゃくるのはある意味狂ってるわけで、悪夢といえますが、「スパッツ買ってもらえなくて号泣する男...これはおもしろい! さっそく描こう」ってなるかな普通。なるの?

レアビットと寝台列車

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 1905年10月21日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 男が列車に乗り込もうというところです。「寝台はもう準備できてるかい? すごく疲れたからベッドに入りたいんだ」「あなたの7番寝台はもう用意できていますよ」というやりとりがなされています。

 

 男は寝台で靴をぬぎながら「ふう、疲れたな。今夜は涼しくなるだろうから、あたらしい下着を着たほうがいいかな。いや、どうしようかな、やっぱり着なくてもいいかな」とひとりごとです。

 

 3コマ目、男はベッドに横になりました。ここから定点カメラで、黒地の背景と男の白いからだが最後までつづきます。男は「着ないことにしよう。これであたたかいよ。下着なしでも眠れそうだな。もしかしたら寝心地が悪いかもしれないが、ああ、でも、走る寝台列車のなかで眠るのは好きだな...」と、前のコマにつづきしゃべっています(あるいは声には出してないかもしれない)。ちょっと神経質そうなひとなのかな。

 

 「いや、やっぱり着よう。ちょっと寒いし。寒いのはいやだ」。落ちついて眠れませんね。男は枕のうえのバッグに手をのばして、5コマ目で裸になり、「こんなの着たことないな」といいながら、あたらしい下着に着替えはじめます。この下着は「ユニオン・アンダーウェア(union underwear)」、つまり上下がつながった下着で、男はこれを着慣れていないために、次のコマでは足を入れるべきところに腕を入れてしまってます。

 

 男は「最初に足だな」といって、8コマ目で下着に足を通すことに成功し、9コマ目では上半身にチャレンジです。頭を天井にぶつけて、星がいくつかとびちってますが、そこはあんまり気にしていないようです。

 

 10コマ目、様子がおかしいですね。足が三本ベッドにならんでいます。「なんかおかしいぞ、足がもう一本あるじゃないか」。ところが、男の次のことばは「ああ、いいんだこれで。忘れてたよ、足が二本しかないものと思っていた」というもので、ちょっと驚かされます。男は三本目の足を下着に入れはじめます。

 

 12コマ目では、腕が四本あります。「頭がおかしくなったかな、あわててしまって三本目の腕のことを忘れてたよ」。たしかに頭がおかしくなってますね。思うに、男はここでも天井に頭をぶつけているので、頭をぶつけるたびに手足が増えるのではないか。

 

 その後、男の手足はどんどん増え、男もさすがに怖くなって「乗務員さん! ああ! ムカデになってしまった! 来てくれ! たすけて!」と、大声で乗務員を呼んでいます。すべての腕をつかってカーテンを開けていて、手前には足が整然とつきだし、読者をぎょっとさせます。フリークス・ショーを思わせますね。

 

 夢オチ場面では、乗務員がそのカーテンをそっとあけて「呼びましたか?」と声をかけています。カーテンの隙間から「い、いや、なんでもないんだ。夢を見てたんだよ、もう大丈夫だから」と恥ずかしそうに答えています。

 

 直前のコマがカーテンをシャッとあけはなった場面なので、夢オチでカーテンがしずかにとじているのを見ると、なんかこう、よけいにこの男が感じていた恐怖がきわだつように思います。客室のなかでひとしれず苦しんでいたんだなあと。読者には見えませんが、汗びっしょりの男の姿が浮かびます。

リトル・ニモとジャングル・インプ

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 1907年7月21日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 アーチが縦横にびっしりとならんで、全体でひとつの壁になっている背景がまず目につきます。中央にはひときわ大きなアーチがあり、アーチのむこうに黄色いものが見えます。

 

 手前には、ニモとお姫さま、着替えおわったフリップ、そしてキャンディ諸島のこどもがいます。フリップが「よし、おまえのパパに会う準備はできたぜ。すぐに陸に上がるんだろ?」といってるうしろで、島のこどもがフリップを指さし、読者のほうをむいて笑いをこらえています。「似合ってないよね」と読者にいってるのかな。

 

 するとさっそく、キャンディ島のこどもはフリップの帽子をつかみとりました。いたずらせずにはいられないようですね。お姫さまはそれに気づかず「そうよ! ここはパパのサマーホームなの」と答えています。1コマ目とくらべて、ならんだアーチの間隔が広くなっていて、また船と岸辺との間隔は狭くなっています。

 

 3コマ目、船から岸への通路があらわれ、着岸の準備が整いました。通路に立っている海兵たちがなんか誇らしげです。お姫さまは「いままででいちばん美しい場所よ、きっと気に入るわ、ニモ!」とニモに話していて、ふたりとも岸にわたる通路の方をむき、画面左で起こっているいざこざには気づいていません。

 

 フリップは島のこどもをけり飛ばしてますね。「おまえには行儀ってものをおしえなくちゃならないようだな!」。キャンディ島のこどもも負けずに、次のコマでフリップの頭をぐいっと押しつけます。

 

 コマの外から(たぶん)お姫さまが「来てよフリップ、岸に降りるわよ、ああ、わたしとてもうれしいわ」と興奮気味ですが、フリップのほうは「こりゃ愉快なことが起こったもんだぜ、もう降りるってのによ」とこちらも別の意味で興奮してます。

 

 5コマ目、キャンディ島のこどもとフリップがものすごい回転をはじめました。どうしてこうなったんだ。目にもとまらぬ速さでもみ合っている、ということなんでしょうが、描線が明らかに円運動で、しかも読者から見て円のかたちになっています。芸の披露みたいになってる。

 

 お姫さまは「なにがあったの? やめてやめて! 止めてちょうだいニモ!」と大声を上げますが、ニモはあいかわらずなにもしゃべらず、驚きっぱなしです。うしろでは司令官が「やっぱりジャングル・インプ(Jungle Imp)とフリップが仲よくなるわけないか!」と、状況に驚きつつもあきれている感じですね。

 

 さて、キャンディ島のこどもはここで「ジャングル・インプ」という名を与えられています。ジャングル・インプといえば、マッケイが1903年に新聞『シンシナティ・インクワイアラー(Cincinnati Enquirer)』で連載していたマンガ「ジャングル・インプの物語」(Winsor McCay -- A Tale of the Jungle Imps by Felix Fiddle | Cartoon Research Library)がありました。当時、ジャングルのこどもというキャラクターは人気があったのかもしれません。文明化された西洋社会のしきたりなどおかまいなし、というふるまいが、読者には物珍しかったり、その野蛮さが笑いの種になったり、もしかしたら、痛快に映ったりしていたのでしょうか。

 

 それにしても、あらためて、背景のアーチのならびがすごいですね。わたしはなんとなく大友克洋が描くマンションを思い浮かべてしまいましたが、マッケイが描く建築物というのは本当に圧倒されます。

 

 4・5コマ目の、中央のアーチのむこうにドーム型天井の建物が見えているのも、堂々としています。シンメトリーなのが威厳ある雰囲気をかもし出しているのでしょうか。ラファエロの「アテネの学堂」のような感じがあります。そうした西洋文明に抱かれて、葉巻をふかしたヤクザとジャングル小僧があばれまわっているのを見るのはいいですね。