いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットとオウニー・ステイシー君

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  1906年1月11日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 女の先生がひとりの生徒を叱るつもりでいます。なぜ叱られるのか、1コマ目の時点ではよくわからないのですが、どうやら先生がここ一週間ずっとその生徒のことを監視していて、すでに体罰を決め込んでいます。というわけで、オウニー・ステイシー(Owney Stacey)君の名が呼ばれます。

 

 オウニー君は最前列にすわっていて、先生の目の前にいます。2コマ目ですでに立ち上がるしぐさをしています。先生は「オウニー! 急いで来なさい! ぶってあげますから」とやる気に満ちていますね。先生の話によれば、オウニー君は「濡れた紙を大量にまき散らしていた(shoot wads of wet paper promiscuously about)」ようで、それが体罰の理由みたいです。状況がまったくわからん。

 

 先生がオウニー君の異変に気づくのは5コマ目で、「ま、待ちなさい、すわって! すわりなさい!」と叫びますが、オウニー君はすわらずにどんどん大きくなって、7コマ目で「お呼びですか、先生?」と答える頃には先生はパニックです。他の生徒たちは平然としていますが。

 

 ところで、「レアビット狂の夢」は週に2〜3回のペースで連載されていて、毎日ではないにせよ頻繁に掲載されていました。だからなのか、マッケイはこのマンガを描くとき、時事ネタを入れたり、読者からアイデアをもらったりして、描くネタが尽きないようにしていました。

 

 そのため「オウニー・ステイシー」とかいう固有名詞を見ると、もしかして実在した人? と思わずにはいられません。というわけで少しインターネットを探してみたんですが、今回は見つけられませんでした。まあ、実在はしたけどマッケイの単なる友人というケースもあるので、まったくの架空かどうかもわからないんですが。

 

 代わりにヒットしたのはオウニー・マドゥン(Owney Madden - Wikipedia)という、「殺し屋」の異名をもつギャングでした...。1891年英国生まれで、1902年にニューヨークにやってきた人らしい。1906年だともう10代半ばなので、上のマンガのような少年ではないですね。ただ当時ニューヨークで「オウニーという名の悪ガキがいる」といったうわさはあったかもしれません。