いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと写真撮影

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 1906年2月13日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 男が写真撮影に臨んでいます。1コマ目、カメラマンは「もうすこしシリアスな顔で」と、あまり笑い顔にならないよう男に言っています。

 

 なので男は、もっと真面目な顔にしようと口をきつく閉じるのですが、今度はカメラマンに「シリアスすぎます」と言われてしまいます。

 

 男はカメラマンに言われるがまま、顔をあれこれ微妙に変えてみますが、その都度カメラマンにダメ出しされます。

 

 そして8コマ目、カメラマンが慌てて「はやく顔を変えてください! カメラが壊れてしまう!」と叫びます。なるほどこの顔はカメラを壊してしまう顔なんですね。上下の歯が見えているのがダメなんでしょうか。

 

 カメラマンの叫びもむなしく、次のコマでカメラが爆発します。爆風でカメラの破片が男にぶつかっているようです(でもなんとなく、男が発光しているようにも見えますが...)。

 

 今とはちがって昔は写真一枚撮るのも大がかりで、良い写真を撮るためには、撮影する人だけでなくされる人もいろいろと体の訓練が必要だったんですねきっと。

リトル・ニモとさかさま世界

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 1908年2月16日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 一列目の3コマ、大きな曲線が波を打っていまして、ニモたちは一体どこにいるのか一瞬よくわからないんですが、この3コマそれぞれの右上に、四角いタイルが敷き詰められた部分が見えるでしょうか。

 

 二列目になるとこのタイルが大きく描かれるようになります。これは床に敷かれたタイルですね。一方、一列目の波打つ曲線は天井のアーチです。絵本の部屋を抜け出したニモたちは、床と天井が逆さまの部屋にやってきたのでした。

 

 2コマ目のフリップの言葉によると、どうやらまだここは「幻惑の間」らしいです。ニモたちは上の床のほうを目指して(この部屋を出られるドアがあると思っているからです)、まずアーチの端の足場を見つけ、そこから燭台に足をかけ、壁を上っていきます。

 

 7・8コマ目でかれらは、床にくっついている逆さまの椅子の裏側によじのぼり、そのあとテーブルの裏側に進みます。

 

 単にニモたちと部屋の大きさの比較によるだけでなく、建築様式的にも、ここがすごく大きな空間であることに読者はすぐ納得してしまいます。

 

 そしてなんといっても7・8コマ目の椅子とテーブル! ニモたちを支えている逆さまの椅子とテーブルは、それぞれの細い四本足でしか床と接していません...いかにも不安定でこわい! 落ちそう! エピソード冒頭は頑丈な足場でしたが...。

 

 夢オチのニモはベッドから落ちていますが、となると夢のなかでテーブルが落ちてしまったんでしょうか。「落ちる!」と思ったらその瞬間にじっさいに落ち始めるのが夢というものです。

リトル・ニモとバレンタインの絵本

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 1908年2月9日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモたちが大きな扉の前にいるところから始まります。が、これは残念ながら「幻惑の間」の外に出るための扉ではなくて、大きな本の表紙なのでした。

 

 開いてみると、プリンセスがあらわれます。プリンセスの絵の下にはキャプションがついていて、「私の恋人になってくれませんか、リトル・ニモ? 私はあなたのものよ!」と、熱烈なラブコールが書いてあります。

 

 ここで「恋人」の英語は Valentine となっています。バレンタインデーが近いからですね。

 

 次のページにはモルフェウス王が描かれていますが、キャプションはこうです、「お休み中のモルフェウス王、まるでビール会社の看板のようです。どこでそんな赤い鼻になったのでしょう? バレンタインの人みたい」。

 

 たしかにモルフェウス王の手には杯があり、ビールの泡のようなものが見えます。赤い鼻のおじさんが描かれたビール会社の看板がこの時代にあったのかどうか、私はわかりませんが、もしかしたら Valentine ではなく Ballantine のことなんでしょうか(P. Ballantine and Sons Brewing Company - Wikipedia)。

 

 また、バレンタインデーには赤い花を送る風習がありますが(Valentine's Day - Wikipedia)、赤い色そのものとバレンタインデーが結びつけられているために、鼻の赤に注目しているのかも。

 

 次はドクター・ピルです。アヒルに乗っていますが、これはおそらくアヒルの鳴き声 quack が「やぶ医者」を意味するからだと思います。こいつはほんと、薬さえ処方してればOKみたいなひどいやつなんですよ。

 

 キャプションにも「ドクター・ピル、人を病気にするやつ。病気を治すんじゃなくて。みんな知ってる、あんたは薬をくれる、そのちっぽけな脳みそで」とあります。ふつうに悪口言われてる。

 

 その後、(久しぶりの登場にもかかわらず)ひどい顔のキャンディ・キッドがあり、次に完全にサルの姿のジャングル・インプが描かれたページです。いまではまず見られない表現ですね。

 

 そしてフリップ。「出ました、生意気な顔のフリップ! ほんとにくちびるがデカすぎ! かれはクルマにひかれるでしょうね、それか、ゾウのかかとに頭をふまれるに決まってる」。これも悪口です。これを見たフリップは「これを描いた生意気なやつはムチ打ちだ」とムカついてます。

 

 最後にニモ。「ちぢれ頭のニモ! きみの寝床(nest)へお帰り。起きろ、目を覚ませ、さもなきゃ眠れ! そうすりゃオレらが休めるからさ」。髪の毛が爆発していて、鳥の巣(nest)のようですね。

 

 「起きろ」も「眠れ」も、要するに夢の世界から出ていってくれ、ということでしょう。現実世界のニモは、最後のコマで、うまく眠れないのを大きすぎる枕のせいにしています。

レアビットとやばいオークション

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 1906年2月6日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「必要なものはぜんぶ買ったから、もう帰ろうかしら。でもその前にオークションを見てもいいわね」と、婦人がオークション会場に入っていきます。

 

 競売人が出しているのは散水車(a sprinkling cart or water wagon)です。2コマ目の画面左奥に、大きなタンクと車輪が見えています。一般家庭には必要なさそうですが...。

 

 婦人の両隣には蓄音機が置かれていて、左の蓄音機から「400ドル」と声が出ました。競売人はそれを受けて「400ドル出ました」と返しますが、すぐさま右の蓄音機から「450」と声が出て、競売人はその声も拾います。

 

 こうして散水車はどんどん値がつり上げられていきます。競売人も「最新型ですよ」「操作も簡単」と商品を売り込みます。そもそも蓄音機が競売人による仕込みということも大いにありえます。

 

 婦人は「ちょうどあんなのを夫も欲しがってたわ」と完全にオークション空間に乗せられてしまい、「750よ!」と入札してしまいます。

 

 その後も競りは続き、最終的にこの散水車は婦人のものとなります。お値段は2500ドル...やってしまった感がありますね。

 

 でも、この婦人の気持ち、わからなくはないんですよね...。わたしもネットオークションで「500ドルまでなら出せるかな」とか考えておきながら、最終的に1000ドル近く払ったこともありますので。オークションは危険。

 

 最後のコマはこうです、「あなた、どうしたの? ずいぶんと落ち着きがないわ」「なんでもないよ、よく眠れないだけさ」。なんと、この夢を見ていたのは夫のほうでした。

レアビットとエレベーターボーイの冒険

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 1906年2月1日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 いきなり謎の場面からスタートします。制服姿の青年が「悪党どもの足跡を見つけられればすぐに捕まえられるはずだ」とか言っていて、しかもその背後には、青年を襲おうとしているライオンがいます。

 

 ライオンは直後に襲いかかりますが、青年は手にしていた銃を撃ち、ライオンをしとめます。すると画面奥に土着民らしき人々があらわれ、青年は「死にたくなけりゃオレの言うことを聞くんだ」と話しかけます。

 

 なぜこの制服の青年(たぶんエレベーターボーイ)がこんな荒々しい旅をしているのか、わけもわからぬままマンガを読み進めると、5コマ目で青年が「心臓食らいのハイラムがオレの女を奪いやがった」とか言ってますので、どうやら青年は彼女を誘拐されたんですね。

 

 土着民たちは青年に命じられて、彼をそのハイラムとやらがいる場所まで連れていきます。すると、いかにもデスペラードといった雰囲気のおじさんが登場です。おじさんは「オレは何も知らねえ!」と慌ててますが、青年が銃を彼の額に当てて脅しをかけると、今度は逆に青年を首を絞めてきます。

 

 「彼女を返せないんならコイツをぶっ放すぞ、オレがだれだかわかってんのか?」「あんたがだれかって? そりゃ知ってるさ、あんたは...(首を絞めながら)オレが何年も探してたマヌケだよ!」

 

 読者はちょっとついていけない展開ですけど...でもこの続きが気になります。「リトル・ニモ」なら続きがわかるんですが。

リトル・ニモと牡蠣みたいな顔

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 1908年2月2日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモたちは前回、自分たちの姿が無限複製される「鏡の間」にいましたが、今回は自分たちの体が伸び縮みする場所にやってきました。これも鏡のトリック(映すものを変形させる鏡)を思い起こさせますが、もしかしたらニモたちが実際にこのように変形してしまっているのかもしれません。

 

 1コマ目から4コマ目まで、コマがどんどん縦に長くなっていきます。それにあわせてニモたちの首から下がどんどん伸びています。

 

 5コマ目からは逆に、コマの縦幅がどんどん短くなり、ニモたちの体の長さも縮みます。ただし顔はむしろ長く伸びてしまって、グロテスクなことになっています。ニモの「インプの顔が牡蠣みたいだ!」というセリフがおもしろいですね。まあ牡蠣もグロテスクな見た目ですしね。

 

 体の長さを変化させるのにあわせてコマの長さまで変えてしまうのが、いかにもマッケイらしいというか、クロースアップの技法がほとんど見られないこの時代らしい感じです。

 

 キャラクターの顔がクロースアップで描かれるようになるのは(もちろん網羅的に調査したわけじゃないですが)だいたい1920年以降かなあという印象です。とくに1924年開始のロイ・クレイン「ウォッシュ・タブス」(Roy Crane, Wash Tubbs - Wikipedia)は、クロースアップに意識的なマンガだと思います。

 

 それと、いまのマンガのコマ割りでは、物語の重要な場面(筋のうえでの決定的な局面とか、重要人物の心理描写とか)に、大きなコマを使ったり、コマをたくさん使ったりすると思いますが、マッケイの場合はあまりそんな感じじゃないですね。

 

 上のエピソードの場合でも、たしかに物語の内容にあわせたコマ割りではあるのですが、それだけではなく、純粋に幾何学的な意図で紙面を割っているのではと思わされます。きれいなグリッドをつくって、積み木のパズルのようなコマを組み合わせ、全体として点対称の紙面を構成しています。このあたり、非物語的というか、物語に関係ないコマ割りと言いたくなります。

 

 ところでこのエピソードで思い出すのは、この3年後にマッケイがつくるアニメーション「リトル・ニモ」(https://www.youtube.com/watch?v=K8qow7jTyoM)です。ここでもニモたちの体が伸び縮みしていて、マッケイはこの映像イメージを紙面に生み出したかったのかなと感じます。

リトル・ニモと鏡の間

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 1908年1月26日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 いや〜、マッケイは気が狂ったんでしょうか...。よくもまあこんな手のかかるものを描こうと思いましたよね。わけなくアニメーターにもなれるというものです。

 

 ニモたちは「幻惑の間」に来ているところです。というかこの場所は「鏡の間」になっていて、ニモたちが鏡に写って無限に反復されています(とはいえ作中に「鏡」の文字は一言もありませんが)。「ここはなんなの? ぼくたちどこにいるの?」と、ニモは不安を隠せません。

 

 2コマ目までは、ニモたちが立っている床の色から、どれが本物のニモたちなのか比較的すぐに判明しますが、3コマ目となるとその方法では判断が難しいですね。かれらのふきだしも、発話者をわかりやすく示してくれていません。

 

 おそらく本物は、中央でこちらを見ているニモと、その右手前で画面右側を見るフリップ、それと反対側のインプではないでしょうか。この三人だけ、他よりもわずかに輪郭線と体の色が濃いので。

 

 4コマ目になると、左右だけでなく上下にも反復されてしまいます。万華鏡のようですね。万華鏡だとしたらだれかが筒に入ったニモたちを転がして楽しんでいるのか...と考えると怖いです。

 

 これまでしばらくしゃべっていなかったインプも、恐怖のためか騒ぎはじめました。自分が本物であるかどうか、自信が持てなくなってきたのでしょうか。考えるな、感じるんだ!(どうしても言いたかった)