いたずらフィガロ

むかしのアメリカのマンガについて。

レアビットと葬儀屋

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 1906年3月20日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 すごく太った男性が今回の主人公です。往来で出会った友人に「その体は大丈夫なのか」と話しかけられて、男性は「いやもうダメなんだ、長くない」と、自らの死を受け入れ始めています。

 

 そのすぐうしろで、かれらの会話を聞いていた男が主人公に近づき、2コマ目でこう言います、「わたしは葬儀屋です。これ名刺です、ご満足いただけるかと」。葬儀屋が死期を悟った男性に営業しているのですね。

 

 主人公の男性は笑いながら帰っていきますが、葬儀屋はそのあとも主人公から目を離しません。毎コマに顔を出して、物陰から男性を覗き見しています。

 

 死際の男性は、「あいつ、このあたりをうろついてる気がする」と、葬儀屋の視線をなんとなく感じつつ、同時に体の調子が急激に悪くなっていきます。1コマ目にくらべると、7コマ目の男性はすごく痩せ細ってしまっていて、同一人物とは思えません。

 

 男性は「横になろう、もう歩けない」と言って部屋に入るところで、振り返ってみると、やはり葬儀屋がこちらを見ています。「あんな商魂たくましいやつは見たことがない」と、もはや感心していますね。でも「わたしが部屋に入ればもうこちらを覗くことはできまい」と、扉を閉めます。

 

 しかし葬儀屋はあきらめません。9コマ目、扉の上の窓からベッドの男性を見ています。この9コマ目の葬儀屋のさりげない顔! 男性は「頭がおかしくなりそうだ、使用人を呼ぼう」と、ベルのスイッチを押しています。

 

 そこでお目覚めです。使用人が扉のところで「お呼びですか?」と立っていて、もとの太った姿に戻っている男性が「いや、なんでもないんだ、気にしないでくれ」と答えています。今まで見ていたのが夢だったのか幻覚だったのか、不確かな気持ちにさせる10コマ目です。

ジグスと改良一輪車

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 1913年1月17日と1月26日の『オマハ・デイリー・ビー』に掲載された「親爺教育」です。

 

 上のエピソードは、ちょうどジグスの娘がプロポーズされているところから始まります。2コマ目で男性がひざまずいています。

 

 ところが3コマ目でジグス登場です。「ちょっとわたしの発明を見せたくてな」だそうで、次のコマで手押しの一輪車を男性に見せています。「いい改良をしたんだよ」と自慢してますね。で、男性は「いや、私はもう行かないと」と言って、結局プロポーズはなかったことに。

 

 娘は「お父さん、自分のしたこと何もわかってない!」と泣いてしまうのですが、これに対するジグスの返答はこうです、「わかってないだって? そんなことない、この一輪車はアメリカ中のレンガ運び(hod carrier)が使うはずなんだ」。まあわかってないわけです。

 

 下のエピソードも、わかってないジグスの話です。だらしない格好で新聞を読んでいると、マギーが「ジョーンズさんが来るから着替えてきて」と言うので、ジグスはいったん引っ込みます。

 

 ですが、すでにジョーンズさんが来ているにもかかわらずジグスはだらしない格好のまま現れ、「いや新聞をとりにきただけでね、こんにちはジョーンズさん」と挨拶してしまいます。

 

 「どうしたの? ジョーンズさんも新聞読みたかった?」というジグスの問いかけに、マギーは「話しかけないでちょうだい」とムカついてますね。

 

 というわけで、妻と娘に失望される日々のジグスです。

リトル・ニモとイースター・バニー

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 1908年4月12日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 前回につづいて、ニモは貧民街の景観美化をやっています。今回は刑務所ですね。1コマ目では右端に見えています。

 

 刑務所の周囲には巨石がごろごろ置いてあるのですが、ニモはこの巨石をイースター・エッグに変えてみせます。色のきれいな、大小さまざまの卵になりました。

 

 ついでに刑務所はお菓子屋さんになっています。看板が「JAIL」から「CANDIES」になり、また入り口のガラスに「甘いお菓子 confections」と書かれています。

 

 ニモの見せ物はまだ終わりません。ニモは今度は、イースター・エッグを割って、なかからウサギを出してみせます。イースター・エッグを持ってくるイースター・バニー(Easter Bunny - Wikipedia)ですね。

 

 このとき、いつの間にかお菓子屋さんも消えているのですが、次のコマで教会が出現します。あたりはユリの花で囲まれていて、純潔マリアの象徴ですね。

 

 ニモはこのコマでこう言っています、「みんな、教会に行こう! そのあとで君の病気のお姉ちゃんに会いに行くことにするよ」。

 

 前の記事で言うのを忘れてたんですが、じつは前回のエピソードのなかで、ニモの奇蹟を目の当たりにしたひとりの子どもが「病気のお姉ちゃんもここにいたらよかったのに」と言ってるんですね。ニモはそのことを覚えていたわけです。

 

 たぶん、ニモにいちばん近いところに立っている、背の低い子どもに話しかけているんだと思います。どんなお姉ちゃんなんでしょう。

リトル・ニモとシャンティタウン

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 1908年4月5日『ニューヨーク・ヘラルド』の「眠りの国のリトル・ニモ」です。

 

 ニモは貧民街の子どもたちを集めて、何でも好きなものに変えてしまう魔法の杖の力を見せるところです。さっそく、1コマ目の馬車が2コマ目で観光バスになりました。

 

 この観光バスは階段状になっていて、後部座席ほど高くなっています。昔はこういうバスがあったんでしょうか。今もある?

 

 バスに側面に「貧民街観光 Seeing Shantytown」と書かれています。ですがニモはここを貧民街でなく高級エリアにしたがっていて、魔法の杖で街並みを変えてしまいます。

 

 5コマ目のおんぼろ住宅は、6コマ目で巨大な建築物になりました。勝手に変えちゃって、土地や住宅の所有者に怒られないんでしょうか...でも立派な場所になったからむしろ喜ばれるのかな。

 

 7コマ目、開けた場所に来ました。乗客のひとりが「ここは唯一遊べる場所なんだ」と言い、また別の子どもが「でもここで遊んでると具合が悪くなるんだよね」とつづけています。

 

 大きな凹地で、中央には雑草が生い茂り、沼地のようなものも見えます。その中央部に向かって、外周からゴミの山がなだれていってます。ニューヨークも高層ビルばかりではなく、このように見捨てられた土地もあったのでしょう。

 

 ニモはここを自然豊かな公園に変えました。よく整備された庭園の真ん中に、立派な噴水が建てられています。

 

 貧民街が舞台なので、当時の読者は物語を現実のニューヨークと照らし合わせていたのではないでしょうか。とくに貧民街の読者がこのマンガをどう思っていたのか気になります。「いつかここも立派になるといいな」と希望を持ったり、あるいは現実逃避したりしていたのかもしれません。

 

 逆にお金持ちの子はどう考えていたのか。「貧民街みたいな汚い場所はこんなふうになくなってしまえばいいのに」と思っていたでしょうか。

 

 いずれにしても、「リトル・ニモ」は微妙に現実的な話になってしまい、不思議な夢の世界にどっぷり浸かるという感じではなくなってしまいました。うーん、個人的には「幻惑の間」のほうが好きかなあ...。

 

 ただ、マッケイはだいぶ後になって、新聞の社説に入れる挿絵(エディトリアル・カートゥーン)を制作するようになります。

 

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これは1934年6月の新聞ですので、マッケイ最晩年ですね。7月に亡くなってますから。

 

 上の絵は、ユニオン(労働組合)に入ってる労働者たちと非加入の労働者たちが喧嘩していて、一方ユニオンのリーダーと非加入労働者の雇用主は安全な場所でくつろいでる、というものです。これが描かれたくわしい経緯についてはあとでちゃんと勉強したいところですが、ともあれマッケイはこういう政治ネタの絵を描くこともありました。

 

 なのでもしかしたら、「リトル・ニモ」を描いているときも、マッケイは社会問題に意識的だったのかもしれません。ジャーナリストとしてのマッケイという視点から、何かおもしろいことが見えるといいなと思います。

レアビットとスズメバチ

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 1906年3月15日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 1コマ目左上に、何かがひっそりとくっついています。「何だあれ? 今までなかったけど、何がくっついてるんだ?」と、寝床の男がしゃべっています。

 

 男は、よせばいいのに靴をそれに投げつけます。すると中から無数の点が飛び出してきました。「スズメバチの巣だったのか!」最悪ですね...。わたしは蜂が怖くてたまらないので、こういう夢だけは見たくありません。

 

 夢も現実も、男のいるところは寝室で、まるで固定カメラがずっとこの部屋を撮影しているようです。だからもしかしたら男はずっと起きていて、かれが見ている幻覚が描かれているのかも...と想像してみるのもおもしろいです。

レアビットとあくび親子

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 1906年3月8日『ニューヨーク・イブニング・テレグラム』の「レアビット狂の夢」です。

 

 「そうさママ、局長が昨日言ってたんだけど、ぼくは社内でいちばん聡明なんだよ。考えるのが早いんだ」と、いけ好かない男が母親に自慢してます。「それを聞いたときは、その通りだってぼくも思った」。

 

 でも母親は、どういうわけか、あくびばかりしています。「ふああ...ごめんなさい」。退屈?

 

 3コマ目で、あくびが息子にもうつります。「頭の回転が早くないといけないのね」「そうなんだ。けっこう早くないと...ふああ、おっと失礼」。

 

 あとはいつもの「レアビット」の調子で、ふたりともあくびが止まらず、しかも口がどんどん大きくなっていきます。9コマ目とか不気味ですね。大きく開いた穴からなにか出てきそうな。

 

 あくびをうつされた息子は、「フェアに行けるようにしてくれたね」と言ってますが...フェアとは同年のミラノ万博のことでしょうか、それとも家畜の品評会とか? いずれにせよ何らかの見せ物になっちゃったということでしょう。これを楽しめるとは、当時の人々はけっこうな胆力の持ち主だったんだろうと思います。

ジグスとパイプ

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 1913年1月10日『オマハ・デイリー・ビー』(上)と、1913年1月17日『リッチモンドパラジウム&サン・テレグラム』(下)に掲載された「親爺教育」です。

 

 前回の「親爺教育」記事で言うのを忘れてましたが、「親爺教育」はマッケイのマンガとはちがって、全米各地の新聞に掲載されていました。

 

 「リトル・ニモ」や「レアビット」の頃は、各新聞社がそれぞれ漫画家をかかえていました。マッケイはニューヨーク・ヘラルド社から給料をもらっていたわけです。

 

 でも1910年代になるとマンガ専門の「シンジケート」=新聞記事配信会社が勢力を伸ばします。各新聞社にとっては、自社の漫画家の人件費を払うより、シンジケートからマンガを購入する方が安上がり、という判断だったと思います。

 

 「親爺教育」もスター・カンパニーというシンジケートのマンガで、このシンジケートを経営していたのは新聞王ハーストです。新聞紙面にマンガをどんどん導入した人です(のちにマッケイもハーストのもとで働くようになります)。

 

 上のエピソードは、自宅でパーティーを開いているところに、ジグスが旧友の労働者をつれてきてパーティーを台なしにする、という話です。

 

 1コマ目に息子がいますね...前の記事で「もう出てこない」と言ってしまいましたが。それとジグスは妻のことを「マギー」と読んでいます。ただ、マギーは自分の名前を人前でそう呼ばれたくないようです。

 

 下のエピソードもパーティー直前の場面です。ジグスはシャツを着替えるのですが、シャツがきついので「マギーが息子のとまちがえたんだな」と言って、シャツを脱いだまま客の前に出てしまいます。「ねえマギー ...あ、いや、マーガレット、シャツまちがえてるよ」。

 

 19世紀西洋では「上流階級はパイプでタバコを吸わない」というイメージがあったそうなので(パイプ (たばこ) - Wikipedia)、パイプをくわえたままなのもダメだったみたいです。じつは1コマ目で、ジグスはマギーに「パイプ持ってこないでよね」と釘をさされているのでした。

 

 パイプのアメリカ人といえばやっぱりGHQマッカーサーですが、パイプに備わるイメージの歴史を辿ってみるのもおもしろそうです。